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地域の皆様のコミニュティ、大和区民活動センター

大和のマイ☆スター 


     「みんなの大和ニュース」掲載の“大和の星”と輝く達人さんたちをご紹介いたします。
 お 名 前     内   容 
 本橋澄子さん  命あるものへの、愛情を広めたい!
 下條文子さん  元気の源は、人との出逢い
 石川 久さん  大和町を“まほろば”と言う想い
 五味岩夫さん 広く、深く、趣味を愛するスーパー87歳 
 髙山宏嗣さん  パソコンは、私の人生の宝物!
 三木実香子さん  “ホアパア二”と踊り、語りあかして
 大浦昭枝さん  ひと針に願いを込めて
 宮本和郎さん  墨絵の線で描く、自然と一体化した世界
 三浦紀美子さん  点字を繋げて紡ぐ人との輪
 浅井英明さん  生涯、合気道一筋に歩み続ける!
 谷口宗鶴さん  「茶道」という総合芸術の伝道師 
 遠藤知行さん  多彩な才能で、活動の場を主宰する
 小野口伊都子さん  小柄な体に秘めた、バイタリティと向上心!
 池田一恵さん  家族と地域を愛する、これぞママ・スター!
 瀬上善一さん  大和町の人々の“楽しみ”と“安心”を担う。
 平田敏昭さん  ファインダー越しに、大和ギャラリーを見つめて
 稲尾公貴さん  大和町を見守る、力強いお父さん
 丸山郁美さん  暮らしを楽しむ、勇気づけホームオーガナイザー
 門脇薫子さん  子供たちの、生きる力を育てる体験教育  
 本間くみ子さん  大和町にクラシックの花を咲かせたい♪
 清水 宣行さん 楽しくためになる町会情報誌『瓦版』 
 鈴木教悦さん  大和町を守る、力強い分団長!
涌井友子さん   見て、歩いて、書いて 町と人々をつなぐ
 小原康延さん  昭和ノスタルジー・記憶の中の風景 
 中山孟子さん  おもてなしの精神で、穏やかな日々を届ける 
 吉田純子さん・國臣さん  野山に咲く花に魅せられ、百名山登頂を達成!
 伊藤和輝さん  サーキットを舞台に戦う、若きレーシングプロライダー
 高橋智子さん  和太鼓の力強い音色でお祭りを彩る
 長野誠さん  東京パラリンピックに向けてボッチャでワイワイ盛り上がろう
 関 龍太郎さん  真夏の夜に盆踊りの新しい風が吹く
 飯沼李舟さん  花に伝えたい思いを込めて 
 近藤敏明さん  すごい歴史のある大和町  
 高橋恵美子さん  みんなが普通に暮らせるステキな大和町に。
 吉村和富さん  さらなる技術向上を目指して日々是好日、卓球
 大関栄夫さん  シャル・ウィー・ダンス⁉ 
 田中京子先生  骨・関節・脊髄・筋肉・神経に関するお悩みには
 風間一二三さん  ”大和町の母”としての75年間に感謝!
 高木大介さん  八幡神社祭礼の、子供山車巡業・神輿渡御の復活に尽力
 石津義弘さん  協調と調和の精神で大和町の問題を解決!
 麓 翔太君  目指すは卓球バンビチャンピオン!
 新井祥子さん  華麗に七変化~金太郎から織姫へ~
 馬場章弘さん  大和小学校「おやじの会」会長 
 能戸幸司先生  大和町のホームドクター やはたクリニック院長
 伊井 進さん  書に魅せられて
 佐久間利彦さん  大和町の地域活動を支え続けて半世紀
 平原トムエさん  絵手紙に感謝の気持ちを込めて
 廣中 剛さん  杉の子大和の頼もしいリーダー
 荒牧昌子さん  地域の健康を見守る、耳鼻咽喉科「荒牧医院」
 石原みゆきさん  大人として先輩として、子どもたちを大切にしていきたい
 遠藤桂子さん  啓明小の子どもたちの灯台「啓明堂」さん
山賀紀四郎さん・与志子さん   お寿司に愛情こめて44年
朝倉智弘さん チームスポーツの良さを教えたい
 芦田洋子さん  手作りの楽しさをみんなに広げたいー帽子デザイナー
 君島典子さん  大和地域でチアダンスを指導
 遠藤友子さん ニットデザイナー、食品インストラクター 
 小川信一さん  映画制作カメラマンとして活躍した
 吉池登志子さん 地域で活躍する傍ら煎茶道を究める 
 堀内康男さん  ペンで人の心を潤しボランティア活動を続ける
 宮島茂明さん  中野区観光協会理事長として活躍する
 和田光信さん フリーフライト模型飛行機で世界を駆け巡る 
 桑原敏子さん  なんでもリメイク
 船山芙佐子さん 「大和朗読の会」を主宰
 藤本英似さん  木彫り人形作家
 菊本美登枝さん 文武両道の達人 
布瀬川浩一さん   日本古代史の研究
 井上和昭さん  一枚の紙の奥深さに魅せられて
山﨑直明さん  江戸時代の旧街道11道を完全踏破した「すご足さん」 
 本間誠二さん  時計修理と写真のことならおまかせ
 山本明子さん  いつでもどこでも誰でもできるトリム体操歴30余年
 関口俊夫さん  多彩な地域活動を行っています


命あるものへの、愛情を広めたい! 本橋澄子さん       令和6年(2024年)11月号掲載


          本橋澄子さん

        愛犬ステラ君と


飼い主が見つかるまでは、自宅で養っています
 約40年に渡り、大和町を中心に「地域猫活動」を続けている本橋澄子さんをご紹介します。本橋さんの家は、以前「丸島屋」として早稲田通り沿いで酒屋さんをやっていたので、
ご存知の方も多いと思います。本橋さんが「地域猫活動」に興味を持ったきっかけは、知人が送ってくれた「地域猫活動ボランティア募集」のチラシでした。このボランティアに参加し、糞尿の清掃・保護した野良猫の不妊去勢手術の手配・飼い主さん探しなどの活動が始まりました。酒屋さんを閉めた後に「ペット用品ショップ」を始めると、野良猫情報や糞尿相談が一挙に増えて忙しくなったそうです。保護した何匹もの野良猫の飼い主が見つかるまでは、自宅で飼っていました。その間、不妊去勢手術用の募金箱をショップ内に置きましたが、盗難に遭ってしまい自費で手術を行った辛い時期もありました。また、動物病院で安楽死させる予定の犬を引き取ったり、捨てウサギの面倒を見ていたこともありました。
 そんな本橋さんの活動に対し、平成18年に愛玩動物飼養管理士会の推薦で、東京都初代の「動物愛護推進員」に任命されました。今や、都内に限らず様々な地域から相談が来る本橋さんに「地域猫活動」に対する想いを語っていただきました。
 「私は、動物の好き嫌いではなく、モラルの問題として動物愛護を考えたいのです。猫だけを救うのではなく、地域力を高めて、人も猫も暮らしやすい町づくりに貢献したいと思います。今はご近所で協力してくれる仲間が増えて、とても心強いです」。

元気の源は、人との出逢い  下條文子さん        令和6年(2024年)9月号掲載


        下條文子さん
 
  大和ギャラリーで「SLいっぱいの旅」展

 
      「写友会」の展示会
 去年の8月に当センターの大和ギャラリーで、Suicaを使った「SLいっぱいの旅」を展示された下條文子さんをご紹介します。下條さんがSLに興味を持ったのは、亡くなったご主人の影響でした。ご主人は飛行機や蒸気機関車が好きで、これらに関するプラモデルやカードが、押し入れや天袋一杯にしまってありました。「SLいっぱいの旅」を開催したのは、ご主人が集めたカード類に陽の目を見せてあげたい、との思いからだそうです。下條さんご本人も「蒸気機関車の力強い音を聞くと、涙が出るほど嬉しい」とおっしゃいます。ご主人を想いだすのでしょうね。
 下條さんは活動家で「中野たてもの応援団」や「平和の門を考える会」のボランティアの他、当センターの「傾聴サロン」で“切手キルキル”のボランティアにも参加されています。また、ご主人に付き添って散歩に出かけた時に撮った写真が気に入って、友愛会が主催する写真の「写友会」にも入会して展示会に出品しています。ボランティアや写友会で、下條さんが一番大切にしていることを話してくれました。「友達が出来て、お話をしたり、色々教えてもらったり、人との出会いが私を楽しくしてくれています」。
 今年82歳の下條さんがこんなに頑張れるのも、周りの皆さんとの交流の楽しさが支えてくれているのですね。これからも素敵な作品を期待しています。

大和町を“まほろば”と言う想い  石川 久さん     令和6年(2024年)7月号掲載


         石川 久さん

大和ギャラリーで開催した「大和町まほろば」展

   編纂に参加した「大和町うるわし」
 大和町の姿を10年以上撮り続けている、石川 久さんをご紹介します。
 石川さんは茨城県日立市で生まれ、地元の大学を卒業後、1969年に上京して無線機器メーカーに就職し、30歳で結婚して以来ずっと奥さんの実家である大和町に住んでいます。定年後、趣味として写真撮影を始めた、ちょうどその頃「大和町写真クラブ」が創立されたのを知って入会し「大和ギャラリー」に写真を展示するなどして、大和町との接点ができたそうです。田舎の風景を撮るのが好きで、思い立ったら北海道から九州まで車で出かけ、撮影しながら数日後に帰宅するという、行き当たりばったりのスケジュールで、食事はコンビニ、寝泊りは車中泊といった旅だったとのことです。
 「ことぶき大和会」「友愛会」「文化祭」などで地域活動への参加や、大和区民活動センター運営委員会企画の「大和町うるわし」という大和町の歴史書の編纂チームに参加して、2012〜2015年頃の町内の景色を撮影しました。「大和町うるわし」には、中央通り拡幅前の写真がたくさん載せられています。また「大和町まほろば」(意味/大和町は優れた良い所)のタイトルで、大和町中央通り商店街が「大和ギャラリー」で展示され、街並みと人々の楽しそうな様子が紹介されていました。大和町はこれからも進化し続けます。石川さんが撮り続ける「大和町まほろば」の第3回目を、楽しみにしています。

広く、深く、趣味を愛するスーパー87歳 五味岩夫さん   令和6年(2024年)5月号掲載


         五味岩夫さん

卓球グループ「クローバー」のメンバーと。

  「大和地区まつり」作品展に出品

「演劇なかま高円寺」の仲間と。中列左から4人目の和服姿が五味さん
 あづま通りで、営業を50年続けて8年前に閉店した「五味寝具店」の店主だった、五味岩夫さんをご紹介します。五味さんの趣味の多さは町内でも有名ですが、単なる趣味に終わらない深さを取材しました。
<卓球>8年前から始めた卓球は今も続けていて、当センターで立ち上げた卓球クラブ「クローバー」のほか、他のクラブでも大会では、常に上位クラスを目指すコーチとして活躍しています。また、豊島区の南長崎で開催される「はつらつ卓球大会」のダブルスに参加し、 数回の優勝を果たしています。
<水彩画>毎年開催されている「大和地区まつり」の作品展には毎回出展し、五味さんの描く自然がテーマの水彩画は、観る人の目を引き付け、会場を盛り上げています。現在も、近くのタクシー会社のロビーやクリニックの待合室に、新作を展示しています。
<演劇>今年の1月に「座・高円寺」で上演された、ふる里劇団「演劇なかま高円寺」の市民劇「わが町高円寺/阿波おどり前夜」に、お寺の住職の役で初めて出演し、主人公の若者を徳島から引き受け、その若者が高円寺で「阿波おどり」を立ち上げるまでに育てた、準主役級の役を演じました。劇団にとって最高齢者の初デビューでした。五味さんに対して脚本家の方は「大変前向きな気持ちと健康な身体、劇団員みんなの憧れです」と語っています。
 五味さんはご自身の活動について「これからも地域を中心に、自分自身の体に鞭を打ちながら、大好きな趣味を続けていきます」と、語ってくれました。

パソコンは、私の人生の宝物!  髙山宏嗣さん       令和6年(2024年)3月号掲載


        髙山宏嗣さん
 
     髙山講師ファンのメンバーと


   「大和パソコンクラブ」での授業
  当センターの集会室で、毎週火曜日に「大和パソコンクラブ」の講師を務めている髙山宏嗣さんをご紹介します。現在88歳の髙山さんがパソコンに興味を持ったのは、67歳で定年を迎えた時、趣味の温泉をもっと調べようと思ったのがきっかけでした。幸い定年退職者向けの「教育訓練給付金」という制度があり、3か月間補助金制度を利用してパソコンスクールに通えました。その後は、都立山吹高校の格安のパソコン教室を探して、1年間通ったそうです。そんな中で、親しくなったシルバー人材センターの講師から、荻窪高齢者会館でのパソコンサポータに推薦され、これが講師としてのスタートでした。
 「大和パソコンクラブ」を立ち上げたのは平成24年で、当時の運営委員会事務局長からの要請だったそうです。もう12年も続いているのですね。参加者の皆さんに髙山講師についてお聞きしました。「同じことを何回聞いても、親切に答えてくれます」「とにかく真面目!しつこいくらい教えてくれます」。頼りにされているのですね。今は大和と野方の施設で講師をされていますが、最近は区内各所でスマホのサポーターをしているそうです。
 最後に、髙山さんのパソコンへの想いを語っていただきました。「今後は、高齢者がICTを学び“人生100年”を幸せに過ごせるよう、頑張りたい。パソコンは、私に沢山の人たちとの出会いと交流の場をくれました。これは私にとって人生の宝です。パソコンには感謝しかありません!」。

“ホアパア二”と踊り、語りあかして  三木実香子さん    令和6年(2024年)1月号掲載


        三木実香子さん
 
中野セントラルパークで開催されたイベント
「スマイルアロハ」に出演(上の写真2点)


     “ホアパア二”の練習風景
  毎週日曜日にフラダンス教室“ホアパア二”で講師をされている、三木実香子さんにお話しを伺いました。
 三木さんは20代の時にフラダンスを習い始めました。きっかけは会社の同僚がフラダンス教室を立ち上げたけれど生徒が集まらず、それではと生徒として習い始めたそうです。最初は応援のつもりでしたが、部活のように仲間と目標をクリアしていく達成感が楽しく、結婚・出産を経ても続けてきましたが、乳幼児がいると教室に通うことも難しいと痛感し、出産をきっかけに0歳児からの子連れでも参加できるフラダンス教室“ホアパア二”を立ち上げました。「ハワイの言葉で『遊び仲間』と言う意味の“ホアパア二”が、子育ての息抜きの場になればと立ち上げました。誕生から18年経ち、初期メンバーのお子さんは高校3年生となり、親子で参加されている方もいらっしゃいます。子育てから、最近では更年期の悩みへと話題は尽きませんが『辛いことがあっても、ここに来ると気分転換できる』と言っていただけると嬉しいです」。生徒さんは、メンバー同士のおしゃべりで気持ちを吐き出し、心身ともにリフレッシュしているようです。レッスン中も笑い声が絶えずとても和やかな雰囲気ですが、イベントへの参加資格を得るためのオーディションに、合格するという目標に向かってタヒチアンダンスを練習している時の眼差しは真剣です。
 明るくエネルギッシュで、仲間を大切に思う三木さんの優しさが、メンバーを結びつける秘訣なのですね。

ひと針に願いを込めて 大浦昭枝さん            令和5年(2023年)11月号掲載


          大浦昭枝さん
    
  2018年に開催した
 「お細工物作品展 壱+弍十六人展」

   大浦さんが指導する“繭玉の会”
 つるし雛教室”繭玉の会”の講師をされている大浦昭枝さんへお話しを伺いました。
 つるし雛を教え始めて15年程経つ大浦さんは最初、お友達同士で集まって本を参考に作品を作っていました。そのうち本格的に作品を作るようになり、自由が丘のお店に置いたところ評判を呼び「是非、教えて欲しい」と言う声から、会場や自宅でつるし雛を教えるようになりました。大和町で教室が開催されるようになった経緯を伺うと、主催者の稲尾さんが「高円寺の商店街でつるし雛の作品が展示されているのを見て『是非、教えてください』とお願いしました」。会場を借りて3人の生徒さんと教室を開始され、平成21年に当センターに場所を移してから現在まで続いています。大和地区まつりや大和ギャラリーにも作品を出展されています。「稲尾さんのお陰で沢山の生徒さんが入ってくださいました。皆さんとお話しをしながら針で縫う作業はとても楽しいですよ。布は古布を使うので骨董市などで仕入れていますが、素敵な古布を探し求めることも楽しみの一つです」。
 つるし雛は針で縫うため一つの作品を作るのに時間を要し、完成まで単品の小さな作品で授業3回分程、大きなつるし雛だと2,3年はかかるそうです。「初孫のお祝いに作るつるし雛には、草履を作ったら元気に歩けるようになど、作品ごとに意味合いがあるのですよ」。
一つ一つの作品に作る人の想いが詰め込まれているつるし雛。大切な人を想いながら作ってプレゼント出来たら素敵ですね。

墨絵の線で描く、自然と一体化した世界  宮本和郎さん   令和5年(2023年)9月号掲載


          宮本和郎さん
     
   府中・日蓮宗東郷寺に飾られた
   宮本氏の掛軸

大和ギャラリーでの「大和墨絵の会作品展」
 ‟大和墨絵の会“で講師をされている宮本和郎さんへお話しを伺いました。
 墨絵とは墨と絵の具を併用した画風で、宮本さんが本格的に墨絵を学び始めたのは40代後半からでした。美術大学で日本画を学ばれていた当時、墨絵は別のジャンルだとして指導されていなかったそうです。「江戸から鎌倉時代まで遡って墨絵を学ぼうとしたのは、日本画と墨絵は別のジャンルではなく、一体化したものとして捕えたかったからです」。身の回りの自然の花やアルプスをモチーフに、墨絵で描いた画集を9冊ほど出版し、各地で講座を依頼されるようになりました。その頃、大和町在住の知人の方から「リハビリとして墨絵を学びたい」とのお話しを受け、1983年に大和地域センターに“大和墨絵の会“が発足されました。「大和町が下町的人情の色濃く残る地区であったので、老若交じりあって楽しく自由な雰囲気でのんびり続けてこれました。」市の講座から出発した自主サークル指導に打ち込むうちに「違いを認め合い、良い面を見つけそれをどう伸ばすかが大事だと実感しました。悪い所を指摘しても欠点の無い絵になるだけです」。絵の対象物に対しても動植物、人間は自然界の一部でその位置から対象として見て描く、と言う姿勢を大切にされています。
 宮本さんの温かい人柄に惹かれ、多くの生徒さんが教室に参加し学んでいます。身の回りにある自然を墨絵の線で描き、日常生活で花や草木の香りや音を感じてみてはいかがでしょうか。

点字を繋げて紡ぐ人との輪  三浦紀美子さん         令和5年(2023年)7月号掲載


        三浦紀美子さん
 
   “点字サークルぺんぺん草”の皆さんです

      点訳に励むグループの皆さん
 ‟点字サークルペンペン草“の代表として活動されている三浦紀美子さんにお話しを伺いました。
 1979年に大和地域センターで中野区の点字講習会に参加した後、講習会終了者で‟点字サークルペンペン草“を立ち上げました。三浦さんは本が大好きで「目の不自由な方も本を読みたい方が沢山いらっしゃるのでは」と思い講習会に参加しました。今はパソコンで点訳できるようになりましたが、発足当時は全て手作業でした。
現在は、ボランティアセンターで発行している冊子「そよかぜ」と筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲学校)図書室から依頼された本をグループで各自1章ずつ分担し点訳しています。点訳は自宅で一人でもできますが約束事や同音異義語の確認、校正等は皆で集まり打合せをします。「点訳は文字を一文字ずつ、点字にすれば良いのかと思いましたが、大間違い!点訳するには様々な約束事があり、今でも勉強中です。でも毎月、仲間と集まり話し合いながら校正する作業はとても楽しいです」と笑顔でおっしゃり、目の前ですらすらと点字を打ってくださいました。
 「目の不自由な方にも読書を楽しんでもらいたい」と言う思いで視覚障がい者の方々、サークルの仲間と交流されている三浦さんは「点訳は自宅でもできますので、学生さんや働かれている方も是非、いらしてください」お仲間、募集中です。

生涯、合気道一筋に歩み続ける!  浅井英明さん       令和5年(2023年)5月号掲載


         浅井英明師範
 
    稽古は礼で始まり、礼で終わる


  一人ひとりに丁寧に指導する浅井師範


   稽古終了後は、感謝を込めて掃除
 当センターで毎週土曜日に活動している「中野合気道クラブ」の主宰者である、浅井英明師範をご紹介します。
 浅井さんは千葉県松戸市で生まれ育ち、合気道を始めたのは中学生の時に健康のために入会した、子供向けの合気道教室がきっかけでした。浅井さんが35年も合気道を続けてこられた大きな理由に、恩師菱沼誠之先生との出会いがあります。「菱沼先生は、誰にでも分け隔てなく優しく指導してくださる素敵な方で“我の他は、皆師なり”という言葉を教えてくださいました。これは“どんな人からも必ず得るものがあるから、尊敬の心を持って接しなさい”ということです。私の“座右の銘”になっています」。
 浅井さんは結婚されて、中野に新居を構えました。お子さんが生まれると、松戸の合気道教室に通うのが難しくなり、合気道八段で得ている“教師範”の資格を活かして、自分のクラブを立ち上げる道を選びました。クラブ設立から今年で13年、今は女性5名・親子3組を含めた10名前後で活動しています。参加者の方に浅井師範について聞きました。入会12年の女性は「腰が低くて謙虚で、皆を平等に扱ってくれます」。中学3年の女子は「師範は優しくて、分かりやすく教えてくれます。クラブに来て師範や皆んなと会うのが楽しい!」。
 浅井師範の座右の銘が、クラブの皆さんの心にしっかり伝わっていました。

「茶道」という総合芸術の伝道師  谷口宗鶴さん       令和5年(2023年)3月号掲載


       谷口宗鶴さん

      美鳩小で茶道の指導
 
     「大和の会」のメンバーと

     七海保育園で茶道を披露
 茶道「大和の会」の講師であり、地域の保育園や小学校でも茶道の魅力を伝えている、谷口宗鶴さんにお話を伺いました。谷口さんは、15年前頃、当センターで茶道を指導していた先生から「地区まつり」のお茶席の手伝いを依頼されたのがきっかけで地域との関りができ、その約3年後に会の立上に参加しました。現在、概ね月4回、4名の女性会員を指導しています。ご自身は、お茶とお菓子をいただいて作法を学べる、という軽い気持ちで茶道を始めましたが、次第に奥の深さに魅かれ、継続する意欲につながって今日に至っています。
 茶道はお点前だけでなく、生け花や習字・お香・短歌など日常生活に密着した素養が必要な総合芸術で、これらを会得しないとお客様への「お茶事」ができないとのことです。一方で、決まり事が多いために、お茶を点てている時は集中でき、これがリラックス効果につながっているようです。
 3年前には、美鳩小学校から依頼があり、6年生の授業で茶道の指導をしました。茶の湯の歴史についてお話してから、歩き方・お辞儀やお茶の点て方などの所作を指導し、点てたお茶を児童それぞれが作った茶碗でいただきました。「先生がとても熱心で、生徒さんも真剣に授業を受けてくれた上、感謝のお手紙までいただいて感激しました」と、うれしそうにお話しています。
 「茶道は奥が深く、終わりがありません。永遠に修行です」と、60年以上に及ぶ研鑽を経てもなお、謙虚におっしゃる姿に頭が下がります。

多彩な才能で、活動の場を主宰する  遠藤知行さん      令和5年(2023年)1月号掲載


        
         遠藤知行さん 
     
   卓球「バナナクラブ」を主宰

「江戸蕎麦・讃岐うどん打ち研究会」の仲間と
 「江戸蕎麦・讃岐うどん打ち研究会」の会長であり、卓球の「バナナクラブ」代表としても活動されている、遠藤知行さんにお話を伺いました。
 遠藤さんは、フリーの産業カメラマンだった現役時代、香川県出身のスポンサーの勧めでうどん打ちを始め、3年後には蕎麦打ちにも領域を拡げて会を立ち上げました。コロナ禍前は12人の会員の技術研鑽の場として当センターを活用し、他地域の施設やイベントで200人分を打つなどのボランティア活動をしていました。デイサービスで、年越しそばをふるまった際のお年寄りの笑顔が忘れられない、と懐かしんでいます。
 「バナナクラブ」という名前は、鋭く曲がる変化球の名称に由来するので、この魔球をマスターして大会で活躍できるよう、より高いレベルを目指して練習に励んでいます。
 カメラマン時代は、愛車に撮影機材を積んで日本各地をめぐりました。清流での撮影の際、バランスを崩して水にはまり、全身ずぶ濡れになりましたが、カメラだけは水面の上に腕を伸ばして守りました。「商売道具ですからね。楽しい思い出です」と笑ってお話していました。
 タンゴ・手挽き珈琲など多彩な趣味の一つが料理で、今は、ブルターニュ地方の郷土料理であるガレットに凝っています。蕎麦打ちが中断して蕎麦粉がかなり残っているため、それを活用しているそうです。「次は何を作ろうかな」と、厳しい状況の中でも常に前を向いて、好奇心は尽きません。

小柄な体に秘めた、バイタリティと向上心!小野口伊都子さん 令和4年(2022年)11月号掲載


        小野口伊都子さん 

  NHKラジオ・テレビ体操指導者 
  多古 肇先生と

    卓球サークルの仲間と
 「大和公園ラジオ体操会」を主催し、卓球サークルや、赤十字奉仕団大和分団員としても活動されている、小野口伊都子さんにお話を伺いました。
 小野口さんは、昭和60年ご主人と朝の散歩をしている時、大和公園でラジオ体操会の方からお誘いを受けたのがきっかけで、体操を始めました。やるからには正しい体操をしたいと、入会の数年後にはラジオ体操指導士の資格を取得し、皆さんを指導するようになりました。この会は、土日も年末年始も雨の日以外は毎日やっています。6時30分から7時まで“ラジオ体操第1・第2”と“みんなの体操”をします。体操を始める前のおしゃべりが楽しみで来る人が多く、小野口さんもその一人です。
 卓球は、今は亡きご主人が、定年になった時に勧められて始めました。地区まつりの卓球大会に、ご主人とダブルスで参加したのも懐かしい思い出で「いつも一緒だったの」と、感慨深く語っていただきました。今は、3つの卓球サークルで汗を流しています。
 区の赤十字奉仕団では、結成70周年の記念誌作成に携わったり、町会や生涯学習大学の活動もされるなど、小柄な体はバイタリティと向上心に満ちています。
 ご夫婦で歩いたいつもの道を、今日もラジオ体操に向かいます。

家族と地域を愛する、これぞ“ママ・スター”! 池田一恵さん 令和4年(2022年)9月号掲載


        池田一恵さん 

  第五分団の仲間と(真ん中が池田さん)

      真夜中のパトロール
 都営大和町四丁目アパート自治会長・野方消防団第五分団員・美鳩小のPТA副会長そして地域ニュース編集部員であるとともに、働きながらも4人のお子さんと賑やかな日々を送っている池田一恵さんにお話しを伺いました。
池田さんは四谷の生まれで、お父様が町会の役員ということもあって、町会に関わるのは生活の一部だったようです。11年前に四丁目アパートに入居された翌年には、10か月になる末のお子さんを抱っこする身で、自治会の副会長を引き受けました。現在は自治会長として、昼夜を問わず会員の相談に乗ったり、他の役員に対応を依頼したりと、司令塔のような役割を担っています。ある日、自治会員の方が、銀座のレストランでご馳走してくれたそうです。その日は池田さんの誕生日で、日頃から親身な活動をされている池田さんへの感謝の気持ちだったようです。
 いま、真夜中のパトロールを友人と二人でやっていて、睡眠は4時間と底知れぬパワーですが、ストレスをためず「まず挨拶、嘘はつかない、見栄をはらない」という基本は、ブレずに過ごしているそうです。
 地域の皆さんに頼られ、様々な活動に携わりながらも“子どもたちが最優先”と、家族をとても大切にされているお母さんです。

大和町の人々の“楽しみ”と“安心”を担う。 瀬上善一さん   令和4年(2022年)7月号掲載


      瀬上善一さん(大和町在住) 

     中町会を彩る祭提灯

消防団操法大会で3位入賞(前列真ん中が瀬上さん)
 大和町に生まれ、60歳になった今も本業の電気工事のほかに、八幡神社の例大祭には祭提灯を飾ったり、野方消防団第五分団に所属し、大和町の安全のために活動している瀬上善一さんをご紹介します。
 瀬上さんが祭提灯を飾るようになったのは、13年前に祭りを取り仕切る『若睦会』に参加したことです。祭りの時期になると、中町会エリアの早稲田通り沿いの歩道脇や、啓明小学校周りなど7箇所に提灯を飾りつけ、祭り気分を一段と盛り上げてくれます。瀬上さんに質問しました。飾りつけで大変なことは?「高い所にハシゴで登るので、慣れていないと危険です」。嬉しかったことは?「提灯飾りは中町会しかやらないので、他の町会から羨ましがられた時です」。
 野方消防団第五分団に参加したのは、40歳過ぎてからだそうです。中学校時代の同級生だった、分団長の鈴木教悦さんに誘われての入団でした。平成17年の妙正寺川の氾濫に出動した時は、逃げ遅れたお年寄り夫婦を分団で担いで避難させたことが、一番印象に残っている、と語ってくれました。
 瀬上さんは趣味も多く、20台くらい乗りこなしたというオートバイを始め、スキー・ヨット・逗子でインストラクターをしている水上バイクなど、アウトドアスポーツがお好きなんですね。この並外れた行動力が、大和町の皆さんに楽しみや安心を与えてくれるのだ、と思いました。

ファインダー越しに観る大和ギャラリー  平田敏昭さん    令和4年(2022年)5月号掲載


      平田敏昭さん(大和町在住) 

 夕陽カッター(東京ゲートブリッジ)


大和ギャラリーで「大和写真クラブ」のメンバーと
 大和区民活動センターロビーの展示スペース<大和ギャラリー>発足当時からリーダーとして活動されている平田敏昭さんにお話しを伺いました。
 2012年に地域有志の協力を得てロビーをリフォームしたのに伴い、地域の交流の場として自慢の作品等を展示する<大和ギャラリー>を誕生させました。写真撮影が趣味であることから<大和ギャラリー>のリーダーを依頼された平田さんは、展示作品や団体を見つけ交渉し準備する一方「写真撮影が好きな人たちの会を作って欲しい」と依頼され、2013年に「大和写真クラブ」、2014年に大和友愛会内に「写友会」と言う撮影好きの会を立ち上げました。「写真撮影が好きな人は、撮った自慢の写真を見てもらうことが張り合いになりますので、年に1、2回<大和ギャラリー>で写真展を開催しています」。
 撮影のために電車に乗り、都内や地方へも出掛けます。重い撮影道具一式を抱え撮影していると「大変ですね」と言われるそうですが、平田さんにとっては撮影道具を揃え使いこなすことにこそ喜びがあるそうです。
 卒業校のOB美術同好会でも会長を引き受け、作品展開催の交渉や連絡等で、絵画や写真撮影好きの60歳~95歳のメンバー達をまとめています。撮影旅行をした際に戦時中の体験談などを聞くこともあり、年齢が違っても共通の趣味で繋がっているので話は尽きないようです。懇篤な平田さんの下には大勢の仲間が集い、テーマが無限にあるのではないでしょうか。 ●平田さんのホームページで沢山の作品が観られます。http://hito-bit.com

大和町を見守る力強いお父さん   稲尾公貴さん        令和4年(2022年)1月号掲載

         稲尾公貴さん     
    2018年「中野区新年賀詞交換会」
   
   「社会保険労務士/無料街頭相談会」
 大和小学校最後の年にPTA会長を務められ、今年の9月から保護司としての活動をスタートされた稲尾公貴さんにお話を伺いました。
 稲尾さんはPTA会長のお話をいただいた時「自分にできるのだろうか?」と不安があったそうです。しかし出身校であること、統廃合のため大和小学校最後の年であったこと、子供3人がお世話になったこと、社会保険労務士の支部活動として出前授業をさせていただいたことなどから、統合する年に声を掛けていただけたのも何かのご縁と思い、引き受けられました。「PTA会長になって様々な活動に関わらせていただくと、地域や先生、行政など多くの方にご協力をいただいていたことを知りました。小学生の時も多くの方に見守られていたのだなぁ」と感謝の気持ちで一杯になったそうです。
 保護司のお仕事も青少年育成委員会に参加して〈社会を明るくする運動〉を知り、その時のご縁で声を掛けられたそうです。引き受けるか悩みご家族にも相談されましたが、普通に生活していたら経験できないこと、自分のためになるのでは、と前向きに捉え引き受けられました。
 「大和町に住んでいる皆さん一人一人がまずはお隣さんから、そしてご近所、町内、区内とお互いに助け合い認め合い、ともに尊敬しあえる関係を持てるようになれば」そしてボランティアに興味があるけれど一歩踏み出せない方には「自分のできることをやる、と言うスタイルで一緒に楽しみながらやってみませんか」とエールを贈ってくださいました。

暮らしを楽しむ、ホームオーガナイザー  丸山郁美さん    令和3年(2021年)11月号掲載


     丸山郁美さん(大和町在住) 
 
    保護者向けのセミナー


   小学校で「お片付け」授業
 アドラー心理学のコミュニケーションを取り入れて片づけのカウンセリングを行う”勇気づけホームオーガナイザー”として活動されている丸山郁美さんにお話を伺いました。
 丸山さんは子育て中、思うように部屋が片づかず「綺麗な部屋で暮らしたい」と思うが故に高く掲げた理想に挫けた経験があるそうです。片づけてもすぐに散らかる現実にイライラが募っていた頃、アドラー心理学のコミュニケーション手法を家庭に取り入れることによって焦りが消え「暮らしとは散らかしたり綺麗にしたりの繰り返し。その現実を受け入れて、家庭で繰り広げられるお互いの成長や時の変化をそのまま楽しみながら生きていこう」と思うようになりました。部屋を整える効果に興味を持ち、整理収納アドバイザー資格を取得し、片づけの仕事を開始したのが10年前。部屋と心が一度に整う無理のない方法が育児に役立つと評判になり、片づけのお手伝いや講座を開くうちに依頼が増え、雑誌、ラジオ、著書の執筆、自治体や学校での講座・講演と活動されています。
「片づけのゴールは”暮らしを楽しむ”こと。綺麗だけを優先しなくても良いのです。家庭が家族それぞれの能力を発見し自信を育む、癒しの空間になればいいなと願っています」 と丸山さん。
 いつも笑顔で暮らしを楽しんでいる丸山さんは、依頼者の方に寄り添い、片づけと言う行為に伴奏していく”勇気づけホームオーガナイザー”そのものです。

子供たちの、生きる力を育てる体験教育 門脇薫子(まさこ)さん 令和3年(2021年)9月号掲載

 広い園庭と緑豊かな環境で、創立85周年、卒園児は1万人を超える、大和幼稚園の副園長の門脇薫子さんにお話を伺いました。
 門脇さんは大学を卒業後、企業に勤務。その後、英国国立ニューキャッスル大学大学院教育学部幼児教育学科で教育学修士を取得後、ヨーロッパや北欧の国々の幼児教育を視察されました。ヨーロッパの幼児教育は『児童中心型保育』という子供主体の保育を実践し、子供たちが自由に自分のしたい遊びを、自ら選択して遊べる環境を作っていて感銘を受けたそうです。帰国後、祖母が設立した大和幼稚園でも同じ環境を取り入れようと、造形・おままごと・構成あそび・変身など、様々なコーナーを設定したところ、園児たちは主体的に遊んでいます。イタリアのレッジョ・エミリア市で実践している、子供の興味・関心を大切にしているプロジェクト型の協同的活動も取り入れています。以前から実践している造形活動や音楽活動も盛んですが、それにプラスしで土や水に触れる活動や、園庭の畑や田んぼでの野菜や果物の栽培・収穫・料理の食育体験も大切にしています。「野菜作りをすると、子供たちは『自分たちが作ったから美味しい!』と言って、嫌いだった野菜も食べてくれます」。都会では中々できない泥遊びは、菌に対する耐性も育つそうです。
 「園での実体験を通して、子供たちの生きる力と自己肯定感を育てる」を理念に、研究・実践される門脇さんに、未来へ羽ばたく子供たちへの想いを感じました。 
 
  門脇薫子さん(大和幼稚園副園長)

    園児たちに英語のレッスン

大和町にクラシックの花を咲かせたい♪  本間くみ子さん     令和3年(2021年)7月号掲載

 本間くみ子さんは生まれ故郷である大和町に【ソフィアザールバロック・アネックス・高円寺】を2年前に開設し、拠点として活動されているピアニストです。ご両親の勧めで5歳からピアノを習い、国立音楽付属高校、同音楽大学ピアノ科卒業。学生の頃から演奏活動を経験し、聴いて下さるお客さまの喜ばれる笑顔に励まされ、プロの演奏家を目指しました。
 ヨーロッパでは、歩いて回れるような小さな町の中にコンサートホールがあり、人々は日常生活の一部としてクラシック音楽を聴いているそうです。本間さんは、もっと気軽にクラシック音楽を楽しんでもらいたいとの思いから、30年続くソフィアザールサロン(駒込)のアネックスとして、高円寺バロックを開設しました。「大和町の皆さまと、演奏家の息使いが共有できるサロンを目指しています」。ピアノリサイタルは、今年で11回目と言う本間さんですが「情緒豊かな演奏をするためには、自身の練習だけでなく、内面を磨く事が大切です。読書、小旅行、異業種の人々との交流を大切に心掛けています」と笑顔で話してくれました。
 高円寺バロックで開催される【マンスリーランチタイムコンサート】は、ピアノソロとおしゃべり、蓄音器によるSPレコードコンサートで構成され、作品が作られた背景、時にはご自身のエピソードを交えて、楽しく解説してくださるカジュアルなコンサートです。午後のひと時、サロンでゆったりクラシック音楽を楽しむのもいいですね。


  マンスリーランチタイムコンサートのトークタイム
 
  本間くみ子さん(大和町在住)
  
    玄関前を彩る花々と

楽しくためになる町会情報誌『瓦版』  清水宣行さん       令和3年(2021年)5月号掲載

 環七と早稲田通りにまたがる東町会で毎月、町会情報誌『瓦版Yamato東町会』を発行している清水宣行さんにお話を伺いました。
 清水さんは2014年7月、当時の班長さんに交代を依頼され、次の方が見つかるまでのピンチヒッターで町会活動を引き受けました。その後役職に欠員が出て、逝去された方もいたため推薦を受け、庶務・広報部長・班長・防犯部長を兼務することに。班長になるまでは、町会長さんの顔も判らず町会費・日赤・寄付等の支払いのみ。持ち回りで回覧板のスタートや、資源ごみ置き場の管理等で「町会とは一体何のためにあるのだろう?」と思っていました。そこで広報部に任命されると「町会の活動を、町会員の方々に知ってもらうために回覧板を利用させていただこう」と、町会長さんに相談し2015年5月、町会情報誌『瓦版Yamato東町会』が誕生しました。町会情報の他に、寺子屋広報・雑学などを掲載したところ、毎月楽しみにしてくださる町会員さんも増えました(※67号まで発行)。
「趣味で作っています」と謙遜されますが、清水さんは長年芸能に関するお仕事をされていて、その時に雑誌の制作に携わった経験があるそうです。また、66歳から始めた空手を地域で週2回教えており、経験と探求心から生まれた豊富な知識が活かされている『瓦版』は楽しくためになる町会情報誌です。※現在はコロナ禍のため回覧は中止し、掲示板や町会ホームページに掲載しています。
 
 
   清水宜行さん(東町会)

   67号まで続いている瓦版

     空手の仲間たちと

大和町を災害から守る、力強い分団長!  鈴木教悦さん      令和2年(2020年)11月号掲載

  平成10年に野方消防団第五分団に入団し、工務店を営みながら20年間活動を続けていらっしゃる、分団長の鈴木教悦さんにお話を伺いました。
私が入団したきっかけは、本業の工務店と団員を兼ねていた父が体調を崩し、私が父の代わりに退団願いを出しに行った時、当時の分団長から「のりちゃん、入団しなよ」と言われて、何も抵抗なく入団しました。月一度のポンプ点検・パトロール活動など、当初の活動にはなかなか出席できず、周りの方に迷惑をかけたと思います。少しずつ活動に顔を出すようになると、活動終了後に地元で一杯ということもたまにあり、一人一人の仕事のこと、町会のこと・恋愛・失敗談等々を通して、打ち解けられるようになりました。生業を兼ねて、消防団活動に参加すること、それに対しての意義や責任感が、少しずつ分かってきました。”大和町を災害から守る”と言う気持ちを持つ団員同士の絆は強く、プライベートでもとても仲が良いです。
 消防団定年制度ができた時、多くの先輩方が辞められ、人数が大幅に減少して、現在五分団は定数の50%です。昔の様には戻れないかもしれませんが、大和町がある限り第五分団も存在します。2年前に本部公開をした時に(展示公開・AED講習など)沢山の地元の方々に参加していただきました。川北橋の角に団本部がありますので、地元でまだ知らない方や興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひお声掛けください。何時でも歓迎いたします。
    今後、道路拡幅に伴って、移転する予定。

  鈴木教悦分団長(大和町在住)

     ポンプ点検作業

     本部公開イベント

見て、歩いて、書いて 町と人々をつなぐ  涌井友子さん     令和2年(2020年)9月号掲載

  現在も新聞記者として働かれる一方、北協和会の青少年育成部員でボランティア活動をされている涌井友子さんにお話を伺いました。
 涌井さんは静岡県の交通会社で働いていましたが、趣味の短歌が縁で知り合った旦那様が勤務していた新聞社から誘われ、上京して新聞社で働くようになり最初は集金などをしていました。結婚後、住んでいた都立家政の自宅が留守中に火災にあい、その後移り住んだ妙正寺川沿いの若宮の自宅も洪水で床上30㎝まで浸水するなど何度も災難に見舞われました。その後、ご夫婦で新聞社を立ち上げ「悪口は書かない、投書を受けない、読者の方を裏切らない」をモットーとして独立したそうです。
 下のお子さんが小学1年生の時にご主人が病気で他界され、女手一つで新聞社を切り盛りしながら4人のお子さんを育て、現在は娘さんが引き継がれています。「私も中学3年生で母が他界し兄弟姉妹と支えあってきましたので、子供たちも皆仲良く支えあってくれています。 火事・水害にあって地域の皆さまに助けていただいたので恩返しが出来ればと、ボランティアを続けています。町会の子供縁日のお手伝いなどで子供たちやお父さんお母さんと話す機会があり楽しませていただいています。」
 困難に遭遇しても、常に他者への感謝の気持ちと好奇心を持って乗り越え活動される涌井さんの姿に勇気付けられます。

   涌井さんが発行している「週刊とうきょう」

   涌井友子さん(大和町在住)

    取材現場の涌井さん

     町会のお手伝い

昭和ノスタルジー・記憶の中の風景  小原康延さん        令和2年(2020年)7月号掲載

      小原康延さん(大和町在住)
   大和町一丁目にあった商店

  大和児童館の近くにあった釣り堀 
 小原さんは北協和会の故・木村会長から、昔の大和町の話をして欲しいと依頼され、作文・絵を描くことが好きでしたので、それ以来、記憶している幼少期の、昭和の大和町の風景を、描き続けていらっしゃいます。
 小原さんは阿佐ヶ谷に生まれ、5歳から大和町に住み、岩手県花巻氏に1年ほど疎開しており、当時は戦時中で食べ物もない時代でした。東京大空襲の翌日、千葉の友人宅から、両親と末弟の安否が気になり、早朝に弟と妹の手を引き、高円寺まで帰ってきた日のことを、鮮明に覚えているそうです。「東京に向かう電車は大混雑で、乗客は窓に腰掛け、連結器の上や屋根にもぎっしりの老若男女。終着駅の秋葉原に到着すると、一面焼け野原で、鉄骨だけになった万世橋は恐怖で渡れず、線路上を歩き高円寺駅まで帰ってきました。その後、家の近所を探し両親に再開できたのは、千葉を出発してから15時間後で、その間食べたものは、握り飯一個と途中でもらった乾パン一つでした。親に会いたい一心が、空腹も、のどの渇きも忘れさせていました」。
 小原さんの描く作品からは、戦前から戦後にかけて、大和町に暮す人々の活気や息使いが伝わってきます。町並みが変わり、昔を覚えている人も少なくなりつつある今、絵を描き続けることによって、平和な生活の大切さを私たちに伝えてくれます。「大和町は人情のある町です。人との繋がりを、未来へ向けて繋げていってもらえたら、と願っております」。

おもてなしの精神で、穏やかな日々を届ける  中山孟子さん    令和2年(2020年)5月号掲載

    中山孟子さん(大和町在住)
 「中野友愛ホーム」での、日赤奉仕活動
  「地区まつり」で喫茶のお手伝い 
  大和区民活動センター1階ホールで営業している「カフェカトレア」代表の中山孟子さんにお話を伺いました。
 中山さんは中野区生涯学習大学を卒業後、先輩に誘われてカフェカトレアの手伝いを始めて8年、代表を務めて6年、北協和会での町会活動もされています。カフェカトレアでは、27名のスタッフをまとめて、常にお客さまやスタッフのことを第一に考えて働かれています。先日も、新型コロナウィルス感染症対策に伴い、営業中止を余儀なくされた時には、来店されたお客さま一人一人に丁寧にお詫びをしていました。丁寧に真摯に取り組まれる姿勢は、カフェが長い間、町の方々に愛されている理由なのだと感じました。「幼児から90歳以上の幅広い方々にご利用いいただいており“人生いろいろ”それぞれの方々がこれまでの良き思い出、生き方を語り合って、とても楽し気で良い雰囲気です。これからも、皆さまが気楽に集える場所でありますよう、スタッフ一同の願いです。」
 また、中山さんは東日本大震災で起きたことが忘れられず、町会での防火・防災の講座・訓練に積極的に参加されています。「避難してきた方々を、体育館の中へ適切に配置するというシミュレーションでは、実際には冷静に対応できるか、と怖さを感じました。」
“皆に穏やかな日々が続きますように”との思いは、他者を思いやり、行動される中山さんの原動力なのだ、と思います。

野山の花に魅せられ百名山登頂を達成!  吉田純子さん・國臣さん 令和2年(2020年)1月号掲載


    吉田純子さん・國臣さん(大和町在住)

 日本百名山登頂を達成された吉田純子さんと、同行された旦那さまの吉田國臣さんにお話を伺いました。
 純子さんは、ご夫婦で行かれたスイスでマッターホルンの姿がみられる山へ登山電車で登り、下山途中に様々な花が咲き乱れる様子を見て感動したことをきっかけに、日本の山々を登山するようになりました。最初は登山初心者と言うこともありツアーに申し込み、花が沢山咲いている白馬岳を目指しましたが、ツアーが成立せずご夫婦2人で登頂することに。山小屋直前で大雨が降り大変な目に遭ってしまいました。「無事、山小屋に到着出来ましたが、自分たちだけで登頂するのは危険だと反省。登山は安全第一と学びました。翌日は晴れて、白馬岳山頂からの歩程で野山に咲く初めて見る花に夢中になり写真を撮りました」。すると隣で國臣さんが微笑んで「専ら、写真は私が撮っていましたよ」とおっしゃいました。
 白馬岳を皮切りに、吉田さんご夫婦は休暇の度に日本の山々を登頂しました。北海道の幌尻岳では登頂前に川を歩いて渡る渡渉を経験し、濡れた衣類を川で洗い干し、皆で自炊し無人の山小屋で寝泊まりしたことが想い出に残っているそうです。当時、純子さんはお母さまの介護をされていたので「山に行くことで息抜きにもなり、帰ったら穏やかな気持ちで介護をすることが出来ました」。
自然を愛する吉田さんご夫婦にとって、山は第二の故郷なのかもしれないですね。
 

御嶽山頂上で百座目登頂達成の記念
の1枚

   白馬岳の可憐な花々

  楽しかった幌尻岳の渡渉

サーキットを舞台に戦うレーシングプロライダー 伊藤和輝さん  令和元年(2019年)11月号掲載

 全国のサーキットを舞台に争われるオートバイレースに参戦して、活躍されているレーシングプロライダー伊藤和輝さんにお話を伺いました。
 伊藤さんは小学2年生の時にご両親と行ったサーキットでオートバイに魅せられポケットバイク(ミニチュアサイズのオートバイ)に乗るようになりました。毎週サーキットに通い練習しているうちに頭角を現し、小学5年生でポケットバイクレース全国4位、六年生でミニバイクレースのシリーズチャンピオンの成績を収めるまでになりました。中学生になってもオートバイへの気持ちは変わらずサーキットに通い練習する日々でしたが、中学校が球技の強豪校で友達が運動部で活躍している姿を見て、校内の体力テストで1位を取った伊藤さんは複雑な気持ちになることもあったそうです。「当時はプロを目指してはいませんでしたが高校三年生で進路のことを真剣に考えた時、プロを目指す決断をしました。」
 現在は国内最高峰の全日本ロードレース選手権に参戦しています。「時速300kmで走り危険と隣り合わせで、事故を防ぐためにもトレーニングは欠かせません。将来はメーカーを背負うチームに所属し、日本でチャンピオンになり世界を目指したいです。」ファンやスポンサーの応援が励みになると語る真っ直ぐな眼差しに揺るぎない闘志を感じました。
ぜひサーキットで生のレースを見てみませんか!

   「全日本ロードレース選手権」での勇姿
 
  伊藤和輝さん(大和町在住)


チーム[ARMY♥GIRLTEAMTJKawasaki]の仲間と

和太鼓の力強い音色でお祭りを彩る  高橋智子さん       令和元年(2019年)9月号掲載

 中野区で開催されているお祭りやイベントを和太鼓の力強い音色で盛り上げている和太鼓演奏グループ「友鼓」の代表の高橋智子さんにお話を伺いました。
 高橋さんはお子さんが小学校1年生の時に通っていた啓明学童クラブの保護者OBの和太鼓演奏グループ「鼓響」に誘われ和太鼓を始めました。一緒に活動しているメンバーが忙しくなり「鼓響」が解散した後、高橋さんは一部のメンバーとその子供たちと新しい和太鼓演奏グループ「友鼓」を立ち上げ代表となりました。メンバーは全員日中働いており、子供たちも中学生になると部活動や勉強との両立で練習時間の確保が難しくなる中、土曜日の夜に第四中学校の視聴覚室を借りて練習を続けてきました。「太鼓は音が大きいため練習は専ら座布団を太鼓代わりにして行われています。仕事、育児で多忙な中、和太鼓を続けてこられたのは和太鼓に魅せられ、また沢山の仲間たちとの出会いや子供たちと一緒に活動して親子の思い出を作ることができたからです。」大和地区祭りや野方地区祭り、大和児童館でのサマーフェスタや八幡神社例大祭、啓明小学校90周年祭りなどで演奏を披露してきました。
「和太鼓は口述で教えるので楽譜が読めなくてもできますよ。大人の方々もお子さんも和太鼓に触れてみませんか。」練習は毎月1回、土曜日の夜に第四中学校で行われています。

高橋智子さん
 

地区まつり文化祭「ふれあいステージ」にて

「啓明小学校90周年祭り」校庭芝生にて

ボッチャでワイワイ盛り上がろう!  長野 誠さん       令和元年(2019年)7月号掲載


長野 誠さん(大和町1丁目在住)

ボッチャ専用ボール
 大和区民活動センターで毎月第1月曜日に健康体操カトレアが主催している「みんなでワイワイ」の講師でスポーツボランティアの長野誠先生にお話を伺いました。
 長野先生は10年前に特別支援学校(当時は養護学校)のスクールバスの添乗員をされていた時に障がい者のスポーツに出会い、スポーツボランティアの講習を受け、それ以来高齢者や障がい者の方々に区民活動センターや福祉作業所などでバルーンバレー(風船バレー)やボッチャを教えていらっしゃいます。そして、2020年東京パラリンピックの正式種目であるボッチャの普及活動もされています。
 ボッチャは比較的重い障がいのある人のために考案されたパラリンピック特有の球技です。最初にジャックボールと呼ばれる白いボールを投げ、続いて赤と青の各6個のボールを投げたり転がしたりして、目標となるジャックボールにいかに多くのボールを近づけるかを競い「地上のカーリング」とも呼ばれています。日本は2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは団体で初めて銀メダルをつかみました。
 「ボッチャはボールも軽く体に優しく楽しいスポーツですので、障害のある人もない人も、子どもから高齢者まで誰でも一緒に楽しめます。ボッチャの輪が広がることによって誰もが楽しく交流できる場が増すことを願っています。」
 皆さんも是非体験してみてください。

長野先生の指導を受けながらボッチャを楽しむ皆さん

当センターでバルーンバレーを指導する長野さん

真夏の夜に盆踊りの新しい風が吹く  関 龍太郎さん      令和元年(2019年)5月号掲載

 八幡神社の禰宜で、毎年夏に開催さ れる「八幡神社例大祭大盆踊り会( DAIBON )」の指揮を執られている 関龍太郎さんにお話を伺いました。大盆踊り会では、盆踊りに新しい息を吹き込み、老若男女が楽しめるものとして再生させようと、3年前 から様々な工夫を凝らしています。 櫓の上でDJやライブを行い、「ホコ天盆踊り」などの変わり種演目や、子ども向けのお面作りワークショップなど、事前の盆踊りのレクチャー会(ミニ盆)も交え進行されています。
 指揮を執られている関さんは「地域住民の減少などにより閑散としてしまった夏祭りの賑わいを復活させようと、芸大などで教鞭を執る岸野雄一さんや、お神輿を再興させた大和町若睦会青年部の協力のもと、お祭りに相性がよいユニークな演目を盛り込んだ盆踊り会を企画し、SNSなどで告知したところ、地域内外から大勢の参加者が集まってくださり、踊りの輪も三重、四重にもなりました。 新しい要素を取り入れつつ、古くからある盆踊りも大切にして、子供からご年配の方まで幅広い年齢層が楽しめる『お祭り』になることを心掛けています。」屋台は地域の飲食店に協力してもらい、お 祭りのもう一つの楽しみとなっています。暑さ対策として、フリー麦茶や救護スペースも用意されています。「気軽に遊びに来てください。みなさんが笑顔で踊れるように企画しております。
 ボランティアスタッフや名入れちょうちんも募集しています!」

     タケノコ族が元祖の「ケケノコ族

  八幡神社 禰宜 関 龍太郎氏(大和町2丁目在住)




         妖怪たちも参加

花に伝えたい思いを込めて  飯沼李舟さん          平成31年(2019年)3月号掲載


  飯沼李舟さん(若宮2丁目在住)

   クラブで教える子供たちと
 日本の伝統文化である生け花を通して、地域の子供たちの育成に携わる飯沼李舟さんにお話を伺いました。
飯沼さんは華道家であり、部活動講師、花の職業訓練講師、フラワーデザイナーとして活躍されています。
 運動神経が抜群でお転婆だった少女時代から中学校では心機一転、女子力アップを目指して華道部に入部したそうです。結婚、子育てを経ても地道に華道の技術を研鑽され、第四中学校でのPTA役員、大和地区委員、青少年育成委員、啓明小学校の外部評議員などを歴任されていく中で、地域の方から生け花の指導を依頼されるようになりました。四中、啓明小学校の式典のステージでも花を活けてくださり、地域の方と子供たちの触れ合いの場「ふれあいスペース四中」でも、発足当初から15年間「四中いけ花クラブ」の指導をされています。「花の一番輝く場所をじっくり考えることは、自分自身を見つめリセットすることにもつながっています。花を活けることが不登校の生徒さんや要支援の生徒さんのやすらぎとなっていれば幸いです。これからも花に触れる楽しさをお伝えしたいと思います」。凛とした佇まいで生徒さんと真剣に向き合う飯沼さんに、生徒さんは心を開くのではないでしょうか。

      啓明小90周年式典に出品

すごい歴史のある大和町  近藤敏明さん           平成31年(2019年)1月号掲載

   近藤敏明さん(大和町1丁目在住)
近藤さん宅で保存されている鹿鳴館の礎石
  松木満史の三女ルミさんと一緒に
  大和区民活動センター運営委員で現在「大和町文化財を守る会」会長を務めておられる、近藤敏明さんにお話を伺いました。
 近藤さんは定年を機に、お父さまもやっておられた民生委員を引き受け、当時北協和会の町会長だった故木村勝昭さんからの頼みもあって、大和町の歴史「大和町うるわし」の編集に参加しました。その後、大和小の統廃合で「大和の碑」(鹿鳴館黒門の礎石)が撤去されると聞いて、編集委員のメンバーと「大和町文化財を守る会」を立上げ「大和の碑」は形を変えて残される事になりました。建築士である近藤さんは、歴史のある建物の保存にも取り組まれ、大和中央通りの拡幅工事により街並みが変わる中、荒牧さん(医院)が残った事を喜んでおられます。
 会としては棟方志功や、彼を大和町に呼んだ松木満史を取り上げ、展示会を見た方々から“大和町にはすごい歴史があるのですね”と言われるようになりました。次回は「東京オリンピックを撮った男/大和町の報道カメラマン・小川信一展」 だそうです。
 大和町の歴史を知り、それらを守り残してゆく。最後に「大和町文化財を守る会」からのお願いとして、是非この町の昔の写真や情報をお寄せください!との事でした。

みんなが普通に暮らせる大和町に。  高橋恵美子さん      平成30年(2018年)11月号掲載

 
   高橋恵美子さん(大和町3丁目在住)

  チーターの顔が目印の可愛いカフェ


     ご近所の憩いの場です
 大和町で若年認知症カフェ「ちーたーひろば」を運営されている、高橋恵美子さんにお話を伺いました。
 中央通り沿いの早稲田通りと花公園との間、入口にチーターの顔が貼ってある3丁目側の、煉瓦と白壁の建物。それが若年認知症カフェ「ちーたーひろば」です。高橋さんは旦那様が若年性認知症を発症し、家族会に参加することで精神的に救われた自身の経験から「同じ悩みを持つ人が話し合える場があれば息抜きができる。身近に場があれば気軽に行ってみようかと思ってくれるのでは」と思うようになったそうです。
 2013年に「NPO若年認知症交流会・小さな旅人たちの会(ちいたび会)」を立ち上げ、現在、地域密着型の本人・家族交流会や旅行会を行うなど活動されており、昨年4月に本人・家族はもちろん、地域の人も気軽に集える場としてオープンしたのが「ちーたーひろば」です。「認知症になっても普通に暮らせる地域を、皆さまと一緒に作っていけたら嬉しいです」。行動力に溢れる高橋さんの言葉に、他人との違いを認め尊重する気持を持つことが、誰でも普通に暮らせる地域作りに必要なのだと感じました。
 第1土曜日と第3水曜日11:00~16:00の月2回、おいしいドリップコーヒーと中野の逸品「フルーツゼリー」が待っています。覗いてみませんか。

技術向上を目指して日々是好日、卓球。 吉村和富さん      平成30年(2018年)9月号掲載

 
    吉村和富さん(大和町4丁目)

 全国大会出場の、麓翔太君にインタビュー

会長の小野口さん(前列右から4人目)を中心に
「水曜卓球会」の皆さん
 大和区民活動センターの斜め向かいのセブンさんのオーナーで、日々卓球技術の向上に研鑽を積んでいる吉村和富さんにお話を伺いました。
 吉村さんは、中学校で卓球部に入部したのを機に、卓球の魅力に取りつかれて夢中でのめり込んでいったそうです。社会人になり中断していましたが、6年前から大和区民活動センターの水曜卓球界に入会し再開しました。今年の7月15日には妙正寺川沿線俱楽部として、夏季中野区卓球連盟団体戦に出場して優勝しました。
 吉村さんは毎年10月に開催される「大和地区まつり」で「卓球大会」を開催したり、卓球のさらなる技術向上を目指す方を指導するサークル「大和道場」を起ち上げたりと、大和町での卓球普及活動にも力を入れています。
 「日本の卓球界は、みう・みまコンビや張本君たちが活躍して、若年層レベルが上がっています。大和町からも全国大会に参加した小学生の男の子もいます。ちびっ子でもご年配の方でも、まずラケットを持ってピンポン玉を打ってみましょう。きっと卓球の楽しさを実感していただけると思いますよ」。そして卓球を通して色々な方と出会うことができ、交流も幅広く深まり、中学時代の仲間ともいまだに交流が続いているそうです。
 吉村さんが、年代を問わず誰に対しても気さくに接しているところや、目標に向かって努力を重ねる姿勢は、長年の卓球経験から培われたものなのだと感じました。

シャル・ウィー・ダンス⁉  大関栄夫さん           平成30年(2018年)5月号掲載

 
 大関栄夫さん(大和町4丁目)

 毎回“トリ”を務める大関さん
 大和区民活動センターで、毎年秋に開催される大和地区まつりの文化祭にて、ダンスパーティーを主催されている大関栄夫さんにお話を伺いました。
 大関さんは55歳の時に奥様から勧められて、運動のためにと社交ダンスを始めました。当時の大和地域センター(現・大和区民活動センター)内のダンスサークルに通ったところ、最初は定年後の趣味にと言う気持ちで始めたのが次第に熱中し、各地で催されるダンスパーティーや競技会に参加してダンスの腕を磨き続けました。女性は練習するとすぐに踊れるようになるのですが、男性は女性を綺麗に踊らせるためにリードしなければならないので、上達するのに5年位はかかるそうです。
「正しい踊りを学ぶためには、ダンスサークルに所属し、各地で催されるダンスパーティーに参加すると上達しますよ」。
大関さんは毎週末ダンスパーティーに参加し、また、社交ダンスを広めるために毎年、大和地区まつりでダンスパーティーを主催しています。
 「社交ダンスはペアで踊るので難しい、と思われますが奥が深く50歳代から始めて80、90歳まで続けている方が沢山います。姿勢も良くなりますし、音楽に合わせてテンポよく踊るので頭の体操にもなります。町内の若い方にも、ぜひ社交ダンスの魅力を知ってもらいたいです」。大関さんの目は、すでに
今年の地区まつりを見据えていました。

骨・関節・脊髄・筋肉・神経に関するお悩みには ケイ・メディカルクリニック院長  田中京子先生

 
Kクリニック院長 田中京子先生
  (大和町1丁目開業)

 あらゆる設備が揃っている
 リハビリルーム
  早稲田通り沿いマルエツプチの上にある「ケイ・メディカルクリニック」。整形外科とリハビリテーション科が併設されており、長く通院される患者さんが多くいらっしゃるので、アットホームな雰囲気を心掛けているそうです。親切なスタッフの方々と、親身になって患者さんのお話に耳を傾けてくださる、院長の田中先生がいらっしゃいます。
 田中先生がお医者様を目指したのは「子供のころ、頻繁に扁桃腺や胃腸炎などにかかり、よくお医者に通っていたので、職業として一番身近だったことと、母が女性も資格を持って働くほうが良いという考えだったことも後押ししてくれました。整形外科を選んだのは機能再生が面白そうだったのと、手術も好きだったからです」。勤務医時代は、勤務時間がものすごく長く休日もなく、体力的にはかなり大変だったそうです。
 開業してからはスタッフの確保など、医療とは別のことで悩まれるそうですが「患者さまが元気になってくださると、すごくうれしいです。開業したころ小さかった子どもたちが、大きくなっても来院してくれたりして、長く家族ぐるみでいらしてくださる方も多くて、開業医の幸せを感じています。どの科に行ったらいいか、などのご相談でも良いので気軽にいらしてください」。
 患者さんには、いつも明るく親切な田中先生の笑顔が、一番の処方箋なのではないでしょうか。
             *平成30年(2018年)3月号掲載

”大和町の母”としての75年間に感謝! 風間一二三さん     平成30年(2018年)1月号掲載


    風間一二三さん
   (大和町2丁目在住) 

    カフェカトレアのスタッフさんたちと
 大和町北協和会で30年間会計役を任され、大和町の様々なボランティア活動に尽力され、いつも穏やかで微笑みを絶やさない風間一二三さんに、お話を伺いました。
風間さんは大和町に越してきてから約75年になるそうです。「昔は現在の北公園に養鶏場がありのどかな郊外でした。」お子さんの小・中学校でPTAの役員を務めたことにより自然にボランティアに参加するようになったそうです。現在は大和区民活動センター運営委員会の事業部として健康体操の世話人、カフェカトレアの立ち上げ時からのスタッフとしての活動、野方母の会の理事(子供の見守り、パトロール)更生保護女性の会で鷺宮地域包括支援センターでの乳幼児検診のお手伝いなど、様々なボランティア活動を精力的に行っています。特に思い出深いのは、大和地域センターでの大和ボランティアコーナーの活動だそうです。「平成9年より”やさしさのおすそわけ”をモットーとしてスタートし、バザー収益から費用を捻出し、お年寄りの方からの相談を受け話し相手になったり、車いすの方が銭湯に行く際の送迎に同行したり、と介護保険が出来て終了するまでの約8年間活動しました。会員の皆さんとすてきな出会いがありました。」
「大和町の方々に恩返しをしたい」と活動をされる風間さんより「若い方の素晴らしい発想に期待しておりますので、是非地域行事などに積極的に参加してください。」と温かいお言葉をいただきました。 

八幡神社祭礼の子供山車・神輿の復活に尽力! 高木大介さん  平成29年(2017年)11月号掲載

   高木大介さん
  (大和町1丁目在住) 

    
    神輿の先頭で進行誘導をされていました
 毎年夏休みに行われる「八幡神社祭礼」で子供山車巡業・神輿渡御を指揮している、大和町若睦会青年部代表の高木大介さんにお話を伺いました。
 高木さんは、大和中央通りで精肉加工・販売の高木精肉店を営んでいます。近年、お祭りを取り仕切っていた地元商店主の高齢化などにより準備も滞り、一昨年はお神輿も中止となり、大和町で生まれ育った高木さんは衰退を危惧していました。そこで、盆踊りの指揮担当の八幡神社の禰宜・関龍太郎さんと共に、賑わいを復活させる活動を始めました「大和町若睦会青年部を立ち上げ、青少年育成大和地区委員長の佐久間さんや大和小・啓明小おやじの会、各町会・消防団をはじめ、多くの団体の協力を得て、大勢の有志の方々が神輿担ぎに参加してくださいました。おかげで今年は子供山車巡業・神輿渡御が今までにないほど広い区域を練り歩き、お祭りは無事成功裡に終わり、盆踊りも今年初めてのイベントの実施などにより大盛況でした。大和町で生まれ育ち生活している者として、伝統行事を継承し、大和町繁栄のために微力ながら貢献できたらという思いでおります」
 地域の人同士をつなぎ、世代間の交流を促すために一役買って、お祭りを盛り上げるために活動されている高木さんから、大和町への熱い想いを感じました。皆様もぜひ、お祭りでお神輿を担いでみませんか?

協調と調和の精神で大和町の問題を解決! 石津義弘さん     平成29年(2017年)9月号掲載


  石津義弘さん(大和町4丁目在住)


     愛犬の名はヤマト
  昨年11月末、民生児童委員地区会長を退任された石津義弘さんに地域活動についてお話を伺いました。
 石津さんは退職後、民生児童委員を12年間勤め、明るい選挙推進委員、旧大和小学校評議員、中野区社協、太団体の委員・理事などを歴任されました。大和区民活動センター運営委員会にも設立当初から役員として関り、現在も総務部長として運営を支えてくださっています。大和町の問題を解決するために、奔走されてきた石津さんですが、初めは奥様に民生児童委員に就任のお話があったそうです。介護などで忙しい奥様の負担軽減のためにと、石津さんが引き受けました。会社員時代は、大勢の部下を束ねるリーダーであった石津さんにとって、地域活動は40余年に亘る会社員生活の行動を180度否定されることが多々あり「相手の話を聞く・自分の価値観を押し付けない」ことの重要さを実感したそうです。また、民生児童委員の活動内容を知らないまま引き受けたので、最初は手探り状態でしたが、経験をもとに民生児童委員の活動概要・行政・専門用語などを体系的に取りまとめて引継ぎ資料を作成し、後任の方々へ引き継がれました。
 「”協調と調和の精神”で多くの方々と接し、色々な情報・知識を入手することで退職後の世界が広がりますよ」石津さんの体験からのメッセージが温かく響きました。

目指すは卓球バンビチャンピオン! 麓(ふもと)翔太君     平成29年(2017年)7月号掲載


   麓(ふもと)翔太君
   (大和町1丁目在住)

   東京都予選で見事優勝!
  ドイツで開催された今年の世界卓球で、日本中を沸かせた中高校生の活躍は、まだ皆さんの記憶に新しいと思います。大和町にも多くの卓球サークルで腕を磨いている小中学生たちがいます。今回は「全日本卓球選手権大会バンビの部東京都予選会」で見事勝ち抜き、東京都代表として全国大会(神戸)に出場する、小学校2年生の麓翔太君を紹介します。
 翔太君は、放課後ほぼ毎日野方の卓球教室に通い、コーチの指導のもと、4年生のお姉さんや仲間たちと練習に励んでいます。練習ではノーミスで100回以上ラリーを続けるという課題をこなしています。翔太君が卓球を始めたきっかけは、お母さまが参加していた卓球サークルのコーチに勧められたからです「他の習い事もしていたのと、卓球は楽しいだけではなく厳しいこともあるので、まだ早いかな?と思い少し考えました」とお母さま。お母さまも介護で心身ともに辛かった時期に、幼稚園のPTA卓球サークルに誘われたことがきっかけで始められたそうです。お母さまが卓球に励んでいる姿を見ていた翔太君も、自然と卓球に惹かれていったのでしょう。普段は、一緒に卓球を習っているお姉さんの智春さんとは仲良しで、いつも笑顔の翔太君ですが「試合に負けるのは悔しい。勝ちたい!」と言い、真剣に練習に励んでいる姿はアスリートそのものでした。いよいよ7月28日から始まる、晴れの全国大会での翔太君の活躍を、大和町の皆で応援しましょう!ガンバレ!翔太君。


       100回ラリーに挑戦中です

華麗に七変化~金太郎から織姫へ~  新井祥子さん       平成29年(2017年)5月号掲載


 新井祥子さん(大和町2丁目在住
   
   
    金太郎と織姫の仮装
 大和区民活動センター1階ホールで毎週水曜日にオープンしているコミュニティカフェ・カトレアのスタッフとして、季節のイベントごとに仮装でお客さまを楽しませてくださる、新井祥子さんをご紹介します。 新井さんはカフェ・カトレアスタッフのほか、友愛会で「歌声サークル」を立ち上げ、講師の手配・歌集を作成するなど、中心メンバーとして活動しています。以前は「大和朗読の会」にも所属して読み聞かせの活動も行っていました。新井さんがボランティア活動を精力的に行うきっかけは、カトレアの会の健康体操に参加したことでした。そのうち、カトレアの会でコミュニティカフェを立ち上げる話が持ち上がり、依頼されてカフェ・カトレアの初代代表に就任しました。「オープンした頃はなかなかお客さまが見えず、イベントや仮装をしてお客さまの入店を祈っていました」その努力が実り、現在は毎週80名ほどが来店するまでになりました。
 季節に合わせ、お雛さまや金太郎に扮する新井さんの仮装を目当てに来店するお客さまも多く、恒例のイベントとなってきました。衣装はすべて新井さんの手作りで、家にあるレース生地やカップラーメンの空き容器などを再利用して創作しているそうです。「仮装することでお客さまが笑顔になり、楽しんでくださるのが嬉しいです」
 新井さんのサービス精神が、周りの人々を笑顔にしてくれるのだと感じました。

    サンタの仮装で接客する新井さん

大和小学校「おやじの会」 会長/馬場章弘さん         平成29年(2017年)3月号掲載

 
  馬場章弘さん(大和町3丁目在住)

  子供も大人も大興奮。ドジョウ掴み大会

おやじの会は子供たちの思い出の中に生きています
 大和小学校で、恒例のイベント(ドジョウ掴み大会やサマーキャンプなど)の準備・開催を担っている、おやじの会会長の馬場さんにお話を伺いました。
 馬場さんは、子供のサマーキャンプ宿泊付き添いに参加してメンバーと顔見知りになり、その後東日本大震災の炊き出しに参加したことがきっかけで入会しました。「続けてこられたのは、みんなと一緒に準備・開催、そして打ち上げが楽しかったからです」しかし家では4人の子供のお父さん、平日はお仕事との両立にはくろうがあるのでは、と伺うと「平日は学校との調整などをPTAの方々に助けていただいています。メンバーも、モットーである”できる人が、できる時に、できる事をする”と言う言葉の通り頑張ってくれます。OB・OG・保護者・地域の方々にもたすけられています」皆の絆を感じました。
 「今年度で大和小学校は最後を迎えてしまいますが、楽しかった思い出はきっと忘れないはずです。大きくなって自分に子供が出来た時、楽しかったことを伝えていってもらいたい、伝える活動をしてもらいたいと思います」大和小学校への熱い想いが伝わってきました。
 平成29年度、美鳩小学校になることを見据え、11月のペットボトルロケットは若宮小学校で開催し、現在美鳩小学校でのおやじの会発足メンバーを募集しているそうです。
地域で仲間を作りたい、というお父さんは参加してみてはいかがでしょうか。

大和町のホームドクター「やはたクリニック院長」 能戸幸司先生 平成29年(2017年)1月号掲載

 
   能戸幸司先生(大和町1丁目)

    親しみのある外観です
 大和町の八幡神社から八幡通りを過ぎると、左手にオレンジ色の建物に緑色の看板が目印のやはたクリニックがあります。大和町にお住いの方は、内科やお子さまの急な発熱・予防接種・リハビリなどでお世話になったことがあるのではないでしょうか?
 やはたクリニックは18年前に現在院長の能戸幸司先生により開設されました。開設当初から「地域の方のお役に立ちたい」との思いから、院内診療と共に訪問診療・往診にも力を入れています。
 能戸先生の専門は喘息や肺気腫といった呼吸器疾患ですが「地域のホームドクター(かかりつけ医)として内科・小児科だけでなく、リハビリテーションを主とした慢性的な整形外科疾患まで診ていますので、お気軽にご相談ください。連絡をいただければ往診にも伺います」通院できない患者さんやご家族にとって、能戸先生は健康状態をサポートしてくださる心強い味方です。また認知症アドバイザー医でもあるそうです。いつも診察室で患者さんのお話にじっと耳を傾け「患者さんからの”症状が良くなりました”と言う声が励みになります」とおっしゃる能戸先生は、まさに大和町のホームドクターです。

       清潔でおしゃれな待合

に魅せられて  伊井 進さん               平成28年(2016年)11月号掲載

 
伊井 進さん(大和町1丁目在住)


   大和区民活動センターでの個展
 3年前から大和区民活動センターで、平日はお仕事をしながら火曜日の夜間と日曜日の午後に書道を教えている「伊望会」講師の伊井進さんにお話を伺いました。伊井さんは、18歳の時に大学の書道部に入部したのがきっかけで、書を始めました。箱根の合宿セミナーで生涯の師匠に出会い、書に対する考え方が180度変わるほど感銘を受け、以後43年間、様々な中央書壇の公募展に出品し、個展も開催しています。
 伊井さんが書を教えるきっかけとなったのは、銀座の展覧会に来ていた中国人留学生が井伊さんの作品を気に入り、教えてほしいと依頼があったからだそうです。最初は1対1教えていたのですが、口コミで増えて15名になり、現在は昭島市や川崎市から通う生徒さんもいるそうです。
 伊井さんのモットーは「人生は楽しく、書も楽しく!」です。筆法(筆使い)を教えることを主眼とし、作品の内容は生徒さんが決めます。伊井さんは「書はその人の人間性・人生観を活かすことが大事、人格即書道です。形もこだわらず、しかも綺麗に書けるようになります。そして芸術作品を見る力、創造する力を養うことが大切。私も生徒さんから学ぶことが多いです」とおっしゃっています。生徒さんが何をやりたいか、その人の要望に応じて個別に指導してくださるので、初心者の方でも安心して始められます。手ぶらでも良いそうですので、書道を始めてみてはいかがでしょうか? 

町の地域活動を支え続けて半世紀  佐久間利彦さん      平成28年(2016年)9月号掲載



佐久間利彦さん(大和町1丁目在住)




八幡神社祭礼で大太鼓を叩く佐久間さんの雄姿
 佐久間さんは青少年育成大和地区委員会委員長をはじめ、大和児童館運営協議会会長・大和地区まつり実行委員会運動部門長・啓明小おやじの会OB・啓明小学校開校90周年を祝う会実行委員長などを歴任しています。大和町に住んでいる方は、大和町の行事では必ず佐久間さんを見かけるのではないでしょうか?
 佐久間さんは大和町に生まれ育ち、小学生のころから中町会の子供会に所属し、ミニリーダー・ジュニアリーダー・青年リーダーを務めてきました。就職してからは忙しくなり、一旦地域活動から離れましたが、お子さんが小学校に入学したことをきっかけに、再び青少年育成大和地区委員会育成部で活動することになりました。
佐久間さんは幼い頃より大和町で地域活動をしている方が身近にいたので、育成者として活動するのは自然の流れだったようです。「地域の方にはたくさんお世話になってきたので、恩返しをしたい」との思いで地域活動を続けていらっしゃるそうです。
 これからの季節、佐久間さんは10月の「<第41回>大和地区まつり」運動会の準備、11月の啓明小学校開校90周年の準備などで大忙しです。佐久間さんが長年地域活動を続け、地域を陰で支えている姿を見て地域活動を始めた方も多いのではないでしょうか?地域活動に興味がある方、これから始めたいという方、特に男性にとっては先輩として心強い存在だと思います。

絵手紙に感謝の気持ちを込めて  平原トムエさん        平成28年(2016年)7月号掲載

 
   平原トムエさん(大和町2丁目在住)
 
     熱心に制作中です。


     ステキな作品ですね!
 平原さんは大和区民活動センターで26年前に絵手紙を始めてからずっと続けており、いまでは「大和虹の会」の中心メンバーとして、他のメンバーに教えることもあるそうです。「発足当時はしらさぎホームの皆さまに、お誕生日などの記念日に絵手紙を差し上げることを目的に、皆一生懸命に描いていました。皆さまに喜んでもらうことが励みになりました」15年くらい続き、しらさぎホームの方々には大変喜ばれたそうです。
平原さんが絵手紙を始めたのは「へたがいい、へたでいい」という、会のテーマに惹かれたからだそうです。「絵手紙は筆で線書を大きくはみ出すようにゆっくり書き、色はパッパッと塗り、見たまま下描きなしで描きます。手紙ですから、誰に書くかを想像して一言添えます。外出が困難で会に参加できない時は、他のメンバーが協力して活動しています」。
「大和虹の会」は、中野駅ガード下や大和区民活動センターでの展示、6月1日より中野ブロードウェイ絵手紙展など、地域の皆さまと交流しています。第2・第4木曜日13:30~15:30に大和区民活動センター2階で活動していますので、興味のある方はぜひ見学に来てください。

杉の子大和の頼もしいリーダー  廣中 剛さん         平成28年(2016年)5月号掲 


廣中 剛さん


”明るく、楽しく”がチームワークの源です。


 公園の清掃、いつもありがとうございます。


大和区民活動センターでの作品展

 毎週、大和町にある公園の清掃をしてくださっている、杉の子大和のリーダーの廣中剛さんにお話を伺いました。
 杉の子大和では現在、20名ほどの利用者の方が在籍しています。朝は朝礼から始まり、清掃・室内作業などをして帰宅する時間までを過ごしています。廣中さんは「週5日、常に一緒に生活しているので、皆ファミリーのように信頼しあっている」とおっしゃいます。大和鹿鳴公園での清掃では、皆集中して各々の役割をこなし廣中さんと利用者の方同士のアウンの呼吸で、あっという間に公園がきれいになりました。
 廣中さんは学生時代、中野区の別の事業所に実習に行き、とてもやりがいを感じてこの仕事を選んだそうです「支援していく中で、利用者も職員も10人いれば10人の考え方がある。自分がこの人には何が良いか、と考えた支援がうまく重なり合い、利用者が成長していった時に喜びを感じます。反対に支援することによって利用者の自立を邪魔し、生活のリズムを乱してしまうこともあります」作業の合間のストレッチの時に、利用者の方と職員の方との和やかなやり取りを拝見し、日々向き合い、接することにより生まれる信頼感なのだ、と感じました。
 杉の子大和では毎日の作業以外にも、行事・クラブ活動も積極的に実施しています。絵画や工作の作品は、大和区民活動センターでも展示されます。


地域の健康を見守る、耳鼻咽喉科「荒牧医院」 荒牧昌子さん   平成28年(2016年)3月号掲載

 
   優しい素敵な先生です。荒巻昌子さん
 
  陽が差し込む明るい診察室です

  洋風の白い外観はとってもステキ!
 荒牧先生は昭和49年から約40年間、耳鼻咽喉科を専門として地域の健康を見守り、診療を続けていらっしゃいます。早稲田通りから大和町住宅街に入ると、正面にある白い洋館は歴史を感じさせます。
荒牧医院は大正末期、祖父の弥一郎氏が内科を開設。昭和20年にお母様の柳氏が耳鼻咽喉科として開業し、昭和49年から昌子先生が受け継ぎました。
 昌子先生は東京女子医科大学在学中、高知県の耳鼻咽喉科の女性教授のもとに実習に行き、女性でも独立できると感じ、耳鼻咽喉科を専攻したそうです。卒業後、ドイツのハイデルベルグ大学耳鼻科に2年間留学し、帰国後子育てをしながら診療を続け、大和小・啓明小でも校医を勤めています。そして今年、東京都医師会から長年の功労を称えられ、表彰されました。「開業した当初は、午後の待合室は鼻水を垂らした子どもたちであふれていましたが、最近は抗生物質で症状を抑えられるようになり、子どもの蓄膿症は減りました。代わりにアレルギー症状の患者さんが増えていますよ」昌子先生は強い薬の使用より、通院して治す治療に重点を置いているそうです。これからの季節、花粉症の方には辛い時期ですが、荒牧医院での治療で乗り切りたいですね。

先輩として、子どもたちを大切にしていきたい 石原みゆきさん  平成28年(2016年)1月号掲載


   優しい眼差しで子どもたちを見守る、
   石原みゆきさん 
 
平成27年度の「大和地区まつり」でテープカットに参加した石原さん(左から3人目)
 中野区青少年育成大和地区委員会副委員長、大和地区民生児童委員協議会主任児童委員、西部自治会青少年部員、大和地区まつり実行委員会文化祭部門長とたくさんの仕事にかかわり、核となって地域活動に奮闘している。
「地域のたくさんの素敵な先輩に支えられ、それが中野区全域に広がり、同じ悩みや思いを共感することが出来たので、今の私があるように思います」
 全国的に校内暴力などで学校が荒れた時代に、四中の委員になった。その頃地域の四中生を見る目は厳しかった。
PTAがアクションを起こさなくてはいけないと、みんなで児童館に集まり、夜のパトロールを始めた。開かれた学校を目指していた教職員と共に、問題解決を目指して尽力した。徐々に地域の目が変わっていくのを実感した。
 「子どもたちには明るくいて欲しい。住んでいる町に愛着を持ってもらいたい。そのためには、大人たちも接し方を留意しなくてはならないと思うのです。だから地区まつりのボランティアとして子どもが手伝ってくれた時など
「ありがとう!」「助かったよ!」と感謝の気持ちを大いに表して、大事にかかわりたいと思っています」
 多くの人が輝くために縁の下で汗をかき、子どもへの深い愛情を持つ、温和でガッツのある女性だ。

啓明小の子どもたちの灯台「啓明堂」  遠藤桂子さん     平成27年(2015年)11月号掲載

 
   啓明小の子どもたちを暖かく見守る、
   遠藤桂子さん。
 
  啓明小の正門を出たら、目の前に
  啓明堂さんがあります。
 啓明小正門の斜め向かいにある、文房具店の啓明堂さん。「ノートやのりが無い!」などと、突然啓明堂さんへ買いに走った経験は、啓明小に通う子どもたちなら誰でもあるのではないでしょうか?
 啓明堂さんは、昭和21年に遠藤さんのお父様が開業。そのお父様は遠藤さんが幼少の頃に急逝し、お母様が浅草の問屋まで仕入れに通いながら、女手ひとつでお店を切り盛りしてきました。「私が小学生の頃は、児童が1500人位いたので、毎朝お店の前に子どもたちが一列に並んで買い物に来ていたのですよ」。
 遠藤さんもお母様の遺志を継ぎ、結婚後も子育てをしながら啓明堂を運営してきました。「昔は教科書販売もしていたので、児童数が多い時は教科書のセットや販売で、大忙しで活気がありました」。今は教科書の店頭販売は無くなり、児童数も減りましたが、遠藤さんは子どもたちの登下校を見守り、声掛けをしてくださっています。「子どもたちが挨拶してくれるようになると、とても嬉しいですよ」。
 遠藤さんは「啓明堂が町の灯台としての役割を果たせれば」とおっしゃり、明るい笑顔で子どもたちを導いてくだっさています。

お寿司に愛情こめて44年  山賀さんご夫妻           平成27年(2015年)9月号掲載

 
    44年間一筋に味を守り続けた山賀さんご夫妻。
 
  お店は大和町中央通りに。

 プロ野球ファンには懐かしい!
 大和地域で活動している団体や町会、各種グループの総務担当の方々にとって、お弁当手配といえば栄寿司さんが心強い頼みの綱になっているのではないだろうか?
 大阪寿司と言われる押し寿司を中心に、赤飯、太巻き、海苔巻き、いなりずしのお店を経営している山賀さんご夫妻は、昭和46年川北橋の近くに開業した。夢中で働いて10年、その後現在の大和町中央通商店街に移って34年。通算44年間、店のカウンター越しに大和地域の移り変わりを見てきた。
 商品ケースから天井の方へ目を移すと「長嶋茂雄」や「落合博満」「原辰徳」「桑田真澄」など、読売巨人軍のスター選手のサイン入り色紙がずらりと並んでいる。「姉が当時巨人軍のマネージャーと知り合いでね、ナイター前の腹ごしらえ用に飯台を抱えて、40人分の寿司を配達していたんですよ」と、球場の様子を思い出しながらご主人は微笑む。「選手はパンツ1枚で駆け寄ってきて”やーお腹がすいたーー”と頬張ってくれました」。
 地域を愛し、地域に愛され、44年間で値段は1・2回しか変えていないという栄寿司さん。愛情たっぷりのこの味に、胃袋をつかまれている人は多いだろう。

チームスポーツの良さを教えたい 中野フレンズベースボールクラブ監督   朝倉智弘さん

 
チームスポーツの良さを教えたい
中野フレンズスポーツクラブ監督
朝倉智弘さん
 

練習後はグランドにお礼の挨拶。礼儀正しいね!

 「中野フレンズベースボールクラブ」(昭和58年に発足した軟式野球クラブ/中野区少年野球連盟所属)の
監督として、啓明小・大和小・北原小などの子どもたちを指導している。
 朝倉さん自身、小・中・高と野球クラブに所属してきた。現在も当時の仲間と草野球のチームで活躍している。「地域に20年来の仲間がいるというのは、いいものですね」。子どもたちには、仲間をサポートし協力する気持ちを養ってもらえたらと考えている。6年生の卒団式の時、1人1人に作文を書いてもらう。一番多く書かれていた内容は夏の合宿のことだった。合宿で、子どもたちは1人ずつ100本ノックを体験する。汗と泥まみれになってもやり遂げたという、達成感と感動を大いに味わったようだ。
 しかし今、夏の合宿は実施されていない。10年前は約50名いた子どもも現在は20名。少子化の影響もあるだろうが、外遊びや球遊びをする子どもが減っていることは事実だ。
 「野球の醍醐味は、誰でもスターになれることだと思います。全ての選手にスターになるチャンスが回ってくる。それを味わって欲しいなと思います」大きな声、きびきびした姿勢で、野球を通じて子どもたちを導く
地域のお父さんだ。(みんなの大和ニュース20号より)         *平成27年(2015年)3月号掲載

手作りの楽しさを広げたいー帽子デザイナー  芦田洋子さん  平成27年(2015年)1月号掲  

 
手作りの楽しさをみんなに広げたい
帽子デザイナー 芦田洋子さん

 

    芦田さんの作品。帽子とシュシュ。

 

デザインの専門学校を卒業してすぐ帽子商社に入社し企画・デザインを担当した。その頃、皇室にも帽子を提供。妃殿下たちが公務で被る帽子をデザインした。

 「堅実で華美にならないようにと求められました。その中で品格のある美しいデザインにこだわりました」

 小さい頃からファッション雑誌を見るのが好きだった。映画も大好き。特に洋画に出てくる女優の帽子に憧れた。

 「ローレン・バコールが素敵でした。大人の女性が何でもないベレー帽を素敵に着こなす姿に憧れました」。

 商社退職後フリーになり、「ミセスの子ども服」(文化出版局)や「婦人百科」(NHK出版)などの雑誌で帽子の企画から制作を担当してきた。子どもの帽子やウエディングドレスに合わせた帽子のデザインも手掛けた。

昨夏は大和区民活動センター集会室で手縫いの帽子ワークショップを開催。8歳から80歳まで老若男女が集まり楽しみながら制作した。パターンを気に入って5点作った方もいた。

「とても嬉しかったです。自分で作った喜びを味わってもらえたらと思っています」。

今後も好きなものを作りながらワークショップなども活発に開催したいそうだ。


(みんなの大和ニュース19号より)


大和地域でチアダンスを指導   君島典子さん        平成26年(2014年)9月号掲載

 

      君島典子さん

 

トップチームのみが競い合う、全米最大級のチア&ダンス大会「Jamfest Dance Super Nationals2014」では、日本初出場の中でTiggersだけが出場。しかも優勝を博す。

 アメフトやラグビーの試合で、手にしたポンポンを振りながら元気よく飛び出してくる可愛い女の子達を見た事はあるだろうか。

君島さんが指導する「チアダンス」は、組み立てた人の上から跳んだり回転したりするアクロバットな部分を抜いた、ダンスがメインの競技だ。

「チアダンスを通し、何事にも諦めないで最後までやりぬく根性や、人の気持ちを考えて行動する力、団体競技ならではのチームワークを学んで、子ども達のロールモデル(模範)になって欲しいと願っています」 

高校の部活動でチアダンスと出会い、卒業後社会人チーム「GOLDEN HAWKS」で活躍してきた。短大を卒業してから11年間幼稚園の先生として勤務。その中で、現代の子ども達の我慢強さや協調性に欠ける事が気になり、ダンスを通してマナーや集中力、人と協力することの大切さを教えたいと思った。

平成15年、大和地域で「TIGGERS DANCE TEAM」を創設。数名で始めたチームが今、幼稚園児から中学生までが所属し、本場全米大会で優勝するチームにまで成長した。

八幡幼稚園に勤務していた事もある。チームの練習場所は、現在、啓明小、大和小、四中、大和区民活動センターだ。

「地域密着型です。子ども達と一緒に大和から元気、笑顔、感動を届けたい。今年も地区まつりに参加します!」
(みんなの大和ニュース17号より)


デザインしたニットドレスがユザワヤ創作大賞に 遠藤友子 さん  平成26年(2014年)5月号掲載

       遠藤友子さん
     (大和町3丁目在住)
   
     作品 「妖精と春の女神」
 遠藤さんは、子どもの頃から手先が器用で編み物に興味を持ち、やがてニットデザイナーを目指して故郷の愛知県蒲郡から東京の編み物指導者養成学校に学びました。そこで講師の厳しい指導のもと編み物のスタイル画・製図を起こし、世界に一つしかないニットを生み出してきました。夢いっぱいメルヘンのニットの作品は、見ているだけで心が豊かになるといいます。各種展示会に作品を発表し、「妖精と春の女神」と題するニットドレスの作品が第22回ユザワヤ創作大賞に輝きました。現在、大和区民活動センターで「夢見る作品」ニットカフェ教室を開催し、仲間を指導しています。
 遠藤さんは、一方、食育インストラクターと細胞矯正士という別の顔をもっています。細胞矯正とは耳慣れない言葉ですが、約60兆個あるといわれる人間の細胞を健全に保つことが健康につながると証明された科学で、正しい食生活や正しい生活習慣・環境を維持し、健康を保つというもので、現在「リンパ体操」を主宰しています。

映画制作カメラマンとして活躍した  小川信一 さん       平成26年(2014年)3月号掲載

 

        小川信一さん
      (大和町2丁目在住)

 

       1964年東京オリンピックを
     チーフカメラマンそして撮影した

 6年後東京オリンピック開催が決まりましたが、40年前の東京オリンピックをチーフカメラマンとして取材・撮影した小川さんをご紹介します。当時の市川崑監督の記録映画をご記憶の方も多いと思います。あのマラソンのアベベ選手の撮影も小川さんご自身の開発した防震装置を使って撮影にあたりました。その後、ベトナム戦争では長期に亘り現地に赴き、決死のニュース画像はマスコミでも注目され、「ブルーリボン賞」等に輝きました。小川さんは子供の頃より写真好きでしたが、野方第五小(現啓明小)の時見た科学映画に感激し、写真専門学校を経て、ニュース系の映画会社で活躍し、「日本映画技術賞元審査員」等も歴任されました。
 定年後もその技術で各方面から引っ張りだこ、各地の博物館や博覧会、展示会での映像装置の開発・製作設置が多数あります。ま
た、若い頃のバンド演奏と楽器修理が高じて、現在バイオリンの制作も手掛けているという別の顔もあります。
(みんなの大和ニュース14号より)


地域で活躍する傍ら煎茶道を究める  吉池登志子 さん      平成26年(2014年)1月号掲載

 

    吉池登志子さん(大和町3丁目在住)

 

    日伯(日本・ブラジル)文化交流茶会で
    ミスブラジルと(横浜大桟橋ホールにて)

生まれも育ちも大和町、自らを「大和町の原住民」と称する吉池さん。ヘルメットをかぶり、バケツ消火リレーの指揮者として、昨年は大会に向けて、特に頑張っていましたが、大会が雨で中止になり残念。地元の「特別防災部」の部長さんなのです。また、警視庁より委嘱を受け、「高齢者交通指導員」として、早稲田通り交差点で、月一回安全指導する姿を目にする方も多いと思います。
 一方、吉池さんは、幼少の頃より日本茶の素晴らしさを肌で感じて育ってきました。そして現在煎茶道・文人華道『清泉幽茗流』の正師範として、門下生を指導しています。さらに「いたるところ煎茶席あり」との開かれた精神性のもと、自由でユニークな茶会を展開しています。また、日本茶アドバイザーの資格を持ち、日本茶と日々語り合っています。茶の葉と遊ぶとき、心が浄化されるようだと言う吉池さん。ご家族の温かい応援があればこそ、と感謝も忘れない。(みんなの大和ニュース13号より)


ペンで人の心を潤しボランティア活動を続ける  堀内 康男さん  平成25年(2013年)11月号掲載

 

    堀内康男さん(大和町2丁目在住)

 
機関紙「ことぶき大和だより」

 堀内さんは「ことぶき大和会」の最年長会員。この会は、なかの生涯学習大学(旧ことぶき大学・三年制)の大和地区在住の在校生・卒業生で組織され、今年12月に創立21周年を迎える。会の機関紙「ことぶき大和だより」に堀内さんはエッセイ、短編小説等を発表し続けて17年。新しい発想の作品は会員の評判もいい。小説は学生時代に同人誌に参加したのがはしり。自動車販売会社在職中に「整備工場を上手に運営するコツ」三部作を出版し、業界のバイブルと好評を得た。この執筆で書く楽しみを身に付けた。
 定年直後にボランティア活動に入り、「中野ハンディキャブの会」の役員として身障者の通院・外出等の輸送に専念する傍ら、当時の大和地域センター内に「大和ボランティアコーナー」を設立。介護保険発足までの約10年間、有志50名と共に老齢者への支援活動を続けた。現在は、堀江高齢者福祉センター運営委員長として活躍中。また、余技の歌は、若き頃東京都民合唱団で鍛え上げた本格派鍛え上げた本格派です。
(みんなの大和ニュース12号より)


中野区観光協会理事長として活躍する  宮島茂明さん      平成25年(2013年)9月号掲載

 
宮島茂明さん(大和町2丁目在住)
 
中野区観光大使のみなさんと

 環七通り消防署近く、「宮島物産」の宮島社長は、本業の傍ら「中野区観光協会」を昨年立上げ、理事長に就任されています。本年春に中野駅北口の再開発エリアで大手企業や大学が始動するにあたり、今こそ中野区のPRに努める必要があるとの思いのもと、行政からの援助が厳しい中、各地域経済団体の賛同を得て、一般社団法人として誕生した全国的にも珍しい「観光協会」です。 宮島物産は、昭和33年創業の作業用品の卸・小売り業であり、宮島社長で5代目になります。地道な扱い商品であり、景気の波の影響は比較的少ないようですが一早くコンピュータ化にも取り組み、堅実な経営を続けて、地域づくり・街おこし、地域横断でPR活動にも広がりが持てるようになったとのことです。今春、四季の森公園を中心に始動した企業、大学ともコラボを図り、の連携を強め、また地元大和中央また地元大和中央また地元大和中央通り拡幅計画とも歩調を合わせ、住みやすい安全・安心の街を目指して心の街を目指して心の街を目指して心の街を目指して宮島社長の夢は限りなく広がります。(みんなの大和ニュース11号より)


フリーフライト模型飛行機で世界を駆け巡る  和田 光信さん   平成25年(2013年)7月号掲載

 
和田光信さん(大和町3丁目在住)
 
世界大会(モンゴル会場)での一コマ

 フリーフライトとは、操縦(コントロール)装置を持たずに自由飛行する模型飛行機です。和田さんは、この模型飛行機を駆使し、日本チャンピオンを数回獲得し、世界大会にも数多く出場して、優秀な成績を収めています。和田さんが大和小学校5年生のとき、校庭に降り立ったヘリコプターに感激して以来、手作りで飛ばす飛行機の世界にのめり込んでゆきました。模型飛行機の面白さは、設計から準備、調整を経て大空に舞い上がる、まさに物に生命が宿り、気流を読み、泳ぎまわる時の醍醐味だと和田さんは目を輝かせます。また、国内外を転戦して、たくさんの人と巡り合えたことも人生の大きな喜びだと微笑みます。
 一方、子供たちを対象とした航空教室
「スカイキッズプログラム」を立上げ、各地の学校や町で、手作り飛行機を楽しく学ぶ教室を開催しています。そして奥様は、陶芸作家であり、夫の「道楽」の良き理解者でもあります。
(みんなの大和ニュース10号より)

なんでもリメイク  桑原敏子さん               平成25年(2013年)5月号掲載

 
桑原敏子さん
 
地区まつり「リメイクショウ」の一こま

 桑原さんが地域の方々との交流と親睦を目的として立ち上げた「手作りクラブ・ラベンダー」も干支を一回りし、最初から参加の方は、120作品にもなります。世界に一つしかない自分の作品を誉めたり自慢したりして物作りの楽しさを皆さんが実感しています。秋の「大和地区まつり」作品展への出展も楽しみと励みになっています。新年会を兼ねた京王プラザでは「吊るし雛」を観賞後優雅な食事・乙女心に浸り至福のひと時、気持ちはいつでも青春との事。昨年秋の「大和地区まつり」では、和服をリメイクして、変化に富んだチャイナ服・背広風スーツやカジュアルウェアなどを地域の方々が着込み「リメイクショウ」としてセンター1階ロビーで開催し、喝采を受けたことは、まだ記憶に新しいところです。
 また、趣味の海外旅行も満喫し、自然の偉大さを再認識しつつ生活していけたら幸せだと思います。と創作意欲はますます盛んです。(みんなの大和ニュース9号より)


「大和朗読の会」を主宰する  船山芙佐子さん         平成25年(2013年)3月号掲載

 
船山芙佐子さん
 
地区まつりでの紙芝居公演

「大和朗読の会」で制作している大きな紙芝居について船山さんは、次のようにおっしゃっています。大きい、大きいといっても色々ですが私たちのいう「大きな紙芝居」は畳の半分位あり、紙芝居1組は12場面か16場面。使い易く耐久性も要求されますから、裏打ちも必要。仲間がいなければ出来ません。先ずは気に入った話を選び、鉛筆で下絵を描き、色を塗る。会員総出で1日がかり、色塗りが終わって乾いたら裏打ち、これも1日がかり、雨だと乾きが遅いこと遅いこと。こんな手間暇を掛け作り続けて20余年、37組を制作。最初の頃よりははるかに速くきれいになったと自負している。「大きな紙芝居」の良いところは、沢山の人が見易いこと。また、紙芝居は画面が一定の時間目に留まるので強調したいイメージが理解され易く映画、テレビとは違った良さがあります。これからも良い話を選んで、さらに技術(制作も演じる事も)に磨きをかけねばね。とますます張り切っています。

木彫人形作家  藤本英以さん                 平成25年(2013年)1月号掲載

 
藤本英以さん
 
三つ折り人形

現在、伝統的工芸技法で「三つ折り人形」を作るただ一人の木彫人形作家の藤本さんをご紹介します。「三つ折り人形とは昔、武家の子供たちに愛された頭や手足が動く人形で緻密な伝統的技法が必要であり、一体完成するのに半年から一年もかかる芸術品です。藤本さんは、福岡県久留米市のご出身で幼い頃から絵や工作が好きで喧嘩っ早かったといい、近所でも評判の「悪がき」だったと笑います。その故郷で見たある人形の持つ清らかさ、美しさに魅了され、紆余曲折を経て上京し人形作家の川上南甫氏に師事して、後に養子となりました。(本名:川上英之)また、師匠から言われた「枡の中に入って枡から出ろ」という教えが忘れられないと言います。まずは没頭して勉強し、自分にしかできない人形を生み出せということでした。
 中野区にお住まいになり、銀座鳩居堂で木彫り人形展を開催し、マスコミにも数多く紹介され、中野区より長年にわたる人形作家としての「技能功労」の表彰も受けられました。藤本さんのご厚意により、区民活動センターの「大和ギャラリー」でもその作品の一部を1月末~2月初ご紹介予定です。お楽しみに!

文武両道の達人  菊本美登枝さん              平成24年(2012年)5月号掲載

 
菊本美登枝さん
 
四中入学式壇上を飾った生花
  長年、生け花池坊を嗜まれ、書道は毎日書道展入選の経歴をもつ菊本美登栄さんをご紹介致します。写真は第四中学校の入学式式場を飾った演壇の花です。花は、長年にわたり四中生の入学と巣立ちを見守ってきました。菊本さんは同中学で定期開催の「ふれあいスペース四中」行事で生け花教室の講師としても活躍されています。また毎年秋に開催される当地域の一大イベントである「大和地区まつり」の文化祭部門を担当され、会場が常に華やかな雰囲気になることを心がけています。とりわけ、小中学生も参加する生け花は地域の方達に好評を得ていると喜んでおられます。また、同会場では毎回書道も展示されますが、菊本さんの揮毫する書が多くの作品の中でも凛とした雰囲気を漂わせています。このように地域活動に密着して寸暇を惜しみなく活躍されている菊本さんにもう一つの顔があります。ソフトボールではかって国体出場3回の名選手、その活躍ふりは、知るる人ぞ知る今の清楚な佇まいからは想像できません。
     

日本古代史の研究  布瀬川浩一さん              平成24年(2012年)1月号掲載

 
布瀬川浩一さん
 
日本武尊
日本古代史(民族興亡史)ウム・・難しい研究をされていらっしゃるのでは・・・?と思いましたが、そもそものきっかけは、神社を荒らす人はおらず、ごみ一つ落ちていない〝なんでだろう?〟これが神社研究に魅了された始まりとか。古代人は民族・集落・一族の単位で驚くほどの戦いをし、殺戮(さつりく)した相手の鎮魂から自軍の幸運の為、神社に掛けた思いは大きく、神社に残る記録と記憶は、古代史そのものを語っていると言っても過言ではないそうです。日本全国十万ヶ所ある神社の内の百ヶ所位が各地の一宮として崇拝を受けており、既に三十ヶ所は巡っていらっしゃるそうですが、全部巡りたいという夢をお持ちとの事です。布瀬川さんは生まれも育ちも大和町で地域の「ことぶき大和会」の同人誌に〝古代史(昔の噂話)〟を連載され、別の「タンポポ会」では土地にまつわる昔話をされているそうです。

 お茶のみ会や座談会の余興などで一寸話をきいてみたいグループがあれば喜んで伺いますとのお話でした。

 
     

一枚の紙の奥深さに魅せられて  井上和昭さん        平成23年(2011年)11月号掲載

 
    井上和昭さん 
   
         干支「龍」の折り紙
 中学生の頃、書店で目に留まった一冊の折り紙の本がきっかけで、その奥深さに魅せられて、現在は地域のサークルや小学校、集会などでお子さん達にその楽しさを伝える”折り紙”講師としてご活躍の井上和昭さんです。
 井上さんは、一見して芸術家タイプ。髪を後ろで一つにまとめ、て優しい口調で折り紙の無限の可能性を話してくださる様子は、親が我が子の話をする様な温かさを感じます。折り紙は小さいお子さんからご年配の方まで、一度は身近な紙を折って、鶴やかぶとなど幅広く親しまれていると思います。夢と創造を膨らませ、いまや一枚の紙がおりなす芸術的な作品、幾何学的な性質から宇宙科学、工業製品、建築、また医療など様々な分野で用いられているそうです。殆どの物が折り紙で作られているそうで、今は時代を反映して「携帯電話」や「パソコン」、最近話題になった「はやぶさ」などいろいろな作品が創作されています。
 改めて、身近にある紙が無限に変わりゆく姿は、想像以上のものであるとその素晴らしさを実感致しました。

江戸時代の旧街道11道を完全踏破した「すご足」 山﨑直明さん  平成24年(2012年)3月号掲載

 
山﨑直明さん
 
通称「隠れ家」で研究にいそしむ
    江戸五街道をはじめ全国11街道二八六四㌔東京から鹿児島往復に相当を踏破した山﨑直明さんをご紹介します。野球、ラグビーをはじめスポーツマンの山﨑さんは動くことが大好きで、もともと歴史街道には興味がありました。また鉄道にも蘊蓄うんちくがあり、割引切符の列車を使い前回歩いた所まで行き、往復を重ねて歩き、振りかえると前述の距離を踏破したということです。その道中には色々な出来事があり、中仙道の八幡から望月間の峠では道に迷っているところへ大雨で夕暮れとなり心細かったこと、また旧街道には現在の国道などと重なる部分と分岐している箇所が多くあり、苦労話は尽きません。その中でも旧山陽道途富海宿から宮市宿への途中小学生に出会い、間違った街道を説明してしまったことに気づきましたが既にその生徒は帰宅後のため、校長にお詫びの手紙を出したところ、心のこもった返信が有ったとのことで山﨑さんの人柄と「絆」がにじみ出るお話もありました。 また、地域との関わりも大切にされ、区報等を奥様とご一緒に配布されたり、地域団体でも精力的に活躍されています。「人生もまた旅なり」

時計修理と写真のことならおまかせ  本間誠二さん    平成23年(2011年)5月号掲載

 
本間誠二さん
 
自宅の一室は修理工場だ

大和小学校近くの住宅街の一角。本間さん宅の玄関を一歩入るとたくさんの道具に囲まれた工房「ホンマウォッチラボラトリー」があります。精工舎(現・セイコー)に勤め、その後大和町で開業してから50年。その修理技術が評判となり、テレビ出演した時は、電話が数日間鳴りやまないほどの反響がありました。古いものを見直そうという意識の高まりのなか、最近は様々な依頼があります。入学のお祝いにお父さんから買ってもらった腕時計、我が家で宝物のように大切に保存していた祖父の形見の時計など、それらを蘇らせ出たいとのお客様の思いを受けて日夜修理机と仲良くしている本間さんです。また、本間さんは時計修理に加えて、写真撮影もプロの域を超えた「すご腕さん」でもあります。

いつでもどこでも誰でもできるトリム体操歴30余年  山本明子さん

 
山本明子さん
 
大和敬老のつどい

 山本さんが副会長を務める、中野区トリム体操連盟は平成20年、25周年を迎えました。区内には30クラブがあり、大和地域では3クラブが活躍中です。トリム体操の「トリム」とは「バランスを保つ」の意味があり、心身ともにバランスのとれた健康づくりを目指しています。山本さんは連盟の立上げ前から活躍されており、トリム体操歴は30余年です。トリム体操を始めたのは、「競技ではないスポーツ」「勝ち負け、経験、年齢に関係がない」から。「何時でも、何処でも、誰でもできるのがいい」と話す。クラブの現状と将来の指導者育成などが悩みの種とのことですが「毎日を楽しく、相手も楽しく。地域隣人とのつながり・交流を深めたい」とトレードマークのバンダナを引き締め老人ホームをはじめ各施設に今日も出向き精力的に体操の指導を行っています。                     *平成23年(2011年)3月号掲載
 なお、山本さんは、平成24年度東京都スポーツ功労賞を受賞されました。

多彩な地域活動を行っています  関口俊夫さん      平成23年(2011年)1月号掲載

 
関口俊夫さん
 
災害救援ボランティア推進委員会:セーフティーリーダー
としての別の顔もあります

 大学卒業後、和光大学に勤務し、学生相談を32年間担当した。退職後は大学や企業で就職相談を行い、現在も大学で就職関係の講義を受け持つ。和光大学で学生相談をしていた時に、学生の親が認知症になったという相談を受けた。その時の経験から「福祉・高齢者関係の資格を取りたい」と思った。現在、社会福祉士、精神保健福祉士の資格を持ち、浄風園の第三委員(苦情処理相談員)を務めている。3年前までは中野区保健福祉審議会委員だった。

平成17年の集中豪雨で自宅が床下浸水の被害に遭う。区民活動センターが避難所になっているが「大雨の中、高齢者は遠くて行けない」と疑問を抱いた。高齢者に配慮した避難体制の充実を行政関係に訴え続けるなかで、地域に根ざした活動の必要性を感じた。

地域の活動や相談に応じられるのは食育、健康、キャリアデザイン(進路相談等)、環境、園芸と幅広い。「ささえ愛 大和」の一人として、今後の活躍が大いに期待される。

     
     

information

中野区大和区民活動センター
運営委員会:制作・著作

〒165-0034
東京都中野区大和町2-44-6
TEL.03-3339-6125
FAX.03-3339-6126
E-mail.
[email protected]

大和区民活動センターのキャラクター大(ダイちゃん)と和(ナゴミちゃん)です。二人合わせて“大和”です。どうぞよろしく!

   <ダイちゃん>

  <ナゴミちゃん>









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