■中野区の変遷
現在の中野区の区域に入る江戸時代の地域は、中野村・本郷村・本郷新田村・雑色・上沼袋・下沼袋・新井村・上高田村・上鷺宮村・下鷺宮・江古田・片山村の12ヶ村であった。
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(啓明公園) (大和公園) (大和鹿鳴公園) |
■啓明公園 大和地域は以前から人口密集地域です。当時子供たちは、どこで遊んでいたのでしょうか。今は啓明公園になっている当時の「平和生命寮跡地」(約三百坪)は格好の遊び場でした。しばらくは平和生命から貸してもらいましたが、会社は社員寮を建てる決定をしました。啓明小PTAのお母さんたちは、跡地を区が公園用地として買ってほしいという陳情を区へ、また会社との折衝・交渉を重ねました。そして空き地を公園にとの運動から足掛け6年かけて、やっと啓明公園が昭和49年に誕生しました。 ■大和公園 啓明公園ができて良かったのですが、子供たちは成長します「ここではボールが投げられない」と子供たちが言います。お母さんたちは「安心してキャッチボールができる広場」を合言葉に地域の空き地を探し始めました。そして「大和町に広場を求める会」ができ、地主さんと相談し、また区とも掛け合いました「ボールの投げられる広場が欲しい」と叫び始めてから4年たち、大和児童館の隣にやっとできることに決まり、大和公園の拡張でいまの「キャッチボール広場」ができました。 ■大和鹿鳴公園 大和鹿鳴公園は、お屋敷跡が公園になりました。屋敷庭には明治初期の「鹿鳴館時代」と言われた鹿鳴館の礎石が使用されていました。公園造成にあたってもその石を利用し、名称も麓鳴公園と名づけられました。 |
元住人と地主さんとの交渉が10年近くもめ続けている土地がありました「区有地になるなら売ってもいいです」と地主さんが言ってくれました(昭和56年)さて、何にする!老人会館・地域施設か、子供の遊び場や公園かで賛否両論。その土地には、イチョウの木がありました。施設にするには、どうしても木を切らなければなりません。施設は諦めようとの動きが強まりました。そんな折、大和中央通りの鉄工所跡地も買えることがわかり、施設はそちらに建設することになりました。今の大和区民活動センターです。そしてイチョウのある土地は大和北公園となりました(昭和58年)。イチョウはその後も大きく育って「百年イチョウ」と名づけられています。 (樹齢:100余年 幹回り:3m43cm 直径:1m29cm) |
八幡神社は大和町2丁目30番にあるかっての上沼袋村枝村大場村の鎮守。祭神は応神天皇。永承年間(1046〜53)源義家が奥州征伐の途中に陣を敷き、石清水八幡の遥拝所を設け軍陣祭を行った。それを見ていた村人が、義家の武勇を慕い、その跡に八幡社を建立したという。それだけに「日露戦役記念碑」に始まって「忠魂碑」「紀元二千六百年記念碑・記念樹碑」とやたら国粋っぽい。後は「鎮座900年記念碑」と、かわいいのは「魚魂碑」。この辺りの魚釣り仲間が釣った魚を供養した碑だ。鳥居が2柱、狛犬が3対。昭和9年無格社から村社になった。(http://www.geocities.jp/pccwm336/sub20.html
より)
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大和町2丁目42番にある。「こそだて地蔵」と読む。八幡神社参道口の左手の角地に堂宇があり、大小様々の7体の地蔵や庚申塔が安置されてる。育英地蔵は、延享三丙寅(1746)九月十五日」に建てられたもので、「念仏講供養仏 奉造立地蔵菩薩 武州多摩郡上沼袋 願主 橋本文左衛門 講中廿三人」 と刻まれてあるのがそれだ。台石は道標になっている。言い伝えでは、子どもが大病になり、家人は八方手を尽くしたがいつまで経っても治らず心を痛めていたところ、ある夜夢の中に地蔵尊が現われ、「祈願すれば必ず子どもの難病が治る」と告げられた。そこで村にあったこの地蔵尊に毎日参詣し、一心に祈願したところ、間もなく子どもの病いは全治した。それ以後「子育地蔵」として人々の信仰を集めたってえ訳。案内に「今でも付近の人々が、子どもの健康と安全を願い、人形やおもちゃ・千羽鶴などを供えている」とある。 |
大和町4丁目37番にある日蓮宗の寺。本門寺末。早稲田通りから北西へ入った路地の傍に朱塗りの山門が建っている。鬱蒼とした樹林に囲まれた境内には自然の湧水池があり、時には水鳥を見ることができる。本尊は宗祖奠定の十界曼荼羅。万治元年(1658)本門寺14世日優上人によって小石川関口台に開基された。3代将軍家光の側室お楽の方が出産に悩み、諸寺に祈願したが、その効き目がなかった。そんな時お楽の方の母泉光院(増山氏)は日優上人に祈願を願い、それによりお楽の方は安産することができた。この時生まれた子どもが4代将軍家綱だ。このこと以来お楽の方や泉光院は日優上人に帰依し、この寺を建立した。こうした関係で泉光院をはじめ増山家累代の墓、お楽の方の父七沢左衛門清宗の墓がある。明治41年現在地に移転した。現在寺門に掲げられている「泉光山」の額は細井広沢の筆になるもので、広く知られている。本堂の左前に「山荘の碑」というのが屋根付きで建っている。また独り暮らしの老人や跡継ぎがなくて死後に不安のある人は訪ねるとよい、そんな悩みの相談に乗ってくれる。 (http://www.geocities.jp/pccwm336/sub20.htmlより )
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大和町1丁目59番にある浄土真宗の小寺。早稲田通りから大和町中通りを北へ行くと、3本目の路地の2軒目にある。鉄筋コンクリート造りの普通の二階家で、2階に上がる外階段で直接本堂に行けるようになっている。斜め向かいに満願寺宿舎がある。 ご本尊は阿弥陀如来、ほかに宗祖親鸞聖人、中興蓮如上人。開基釈周導。昭和2〜9年の間に開山開基。釈は新潟の人で、ここに民家を求め寺と称えて地域住民の教化に当たった。昭和56年に没した後、太田周賢が跡を継いで教化活動をした。(地名の由来東京23区辞典より) |
杉並区の妙正寺池に源を発する妙正寺川は、大和町北部を流れて神田川に合流します。2005年には首都圏を襲った局地的な大雨により、周辺地域で浸水等の被害が発生しました。その後、護岸の整備、河床の掘削、橋の架け替え、調整池の改良と大規模な改良工事が行われました。今では、春に桜やカルガモの親子が見られ、両岸の遊歩道も整備されて、地域の憩いの散歩道となっています。
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大和区民活動センターのキャラクター大(ダイちゃん)と和(ナゴミちゃん)です。二人合わせて“大和”です。どうぞよろしく!
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