歴史保存は、我々の永遠のテーマです。 現在大和町には約1万5千人が暮らしていますが、若い人たちには町の歴史なんか知らない、と言うのが当然でしょう。でも大和町の名前にも歴史があり、松木満史と棟方志功はこの町から世界に羽ばたき、大和小(現・美鳩小)には鹿鳴館黒門の礎石もありました。今、中央通りの拡幅も進み、この町の大切な何かを残そうと我々8名は燃えています。 皆さま、ぜひ古い写真や昔の話など、我々までお知らせください。大切に保存します。 会長 近藤敏明 |
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2024・10・18 | 「大和町文化財を守る会パンフレット」2024年改訂版 |
2022・3・18 | 「大和町、町名の歴史」 |
2021・2・19 | 啓明小学校の社会科授業に招かれて |
2019・3・4 | 大和町の報道カメラマン「小川信一」 |
2018・10・20・21 | 地区まつりに「松木満史展」と「大和町の有名人コーナー」を出展 |
2018・4・16 | 昭和を代表する芸術家の一人「松木満史」 |
2018・4・2 | 偉大な板画家は、わが町の誇り!「棟方志功」 |
2018・4・2 | 守る会立ち上げのきっかけになった「大和小・鹿鳴館の礎石」 |
大和町文化財を守る会のパンフレット、2024年の秋の改訂版です。 今までに、守る会でまとめた資料の冊子は20冊以上になりました。その一部をこのパンフレットにも載せてあり、冊子リストも付いています。なお、全冊子のバインダー製本は大和区民活動センターロビーで閲覧可能です。各冊子の内容は電子データでお渡しする事も出来ると、考えています。 丁度今年2024年は、大和町という名になってから90周年にあたりますので、我々の会も大和町100周年に向けて、活動を続けてゆきたいと考えています。 |
kaiteibanpanf.pdfへのリンク |
大和町文化財を守る会に、啓明小学校から大和町の街の歴史や学校の歴史を教えて欲しいとのビデオ授業の依頼がありました。前回は3年生、今回は6年生が対象で啓明小の(ずっと昔の)卒業生でもある、布瀬川先生と、近藤先生が担当しました。 町名そのものは文化財ではありませんが、町の歴史をたどり、振り返る事が出来る鍵です。例えば「どうして大和町?」という名前になったのかや、ここの昔の名前の「大場」は江戸時代の古文書にも載っている事など、この冊子の内容はその教材としても使いました。 「詳しくは会のHPを見て下さい」と授業でも説明していましたが、今回こうして皆さまにも、このHPで見て頂ける様になりました。是非歴史の扉を開けてみてください。 |
choumeinorekisi.pdf へのリンク |
令和3年2月9日(火)啓明小学校の3年生を対象に「啓明小学校の昔と今」を語る先生として<ことぶき大和会><大和町文化財を守る会>の布瀬川さんと近藤さんが招かれました。コロナ禍のため、テレビを通しての授業でした。授業の様子と授業内容は、右のpdfからご覧ください。 | keimeishoujugyou.pdf へのリンク jugyounaiyou.pdf へのリンク |
小川さんは昭和39年開催の第18回東京オリンピックの公式記録映画(市川崑総監督)のチーフカメラマンに選抜され、聖火リレー、開会式、女子バレーボールチームの決勝戦、男子マラソン、男子400mリレー、砲丸投げ・円盤投げや女子80mハードルなどの撮影を担当しました。市川監督が斬新な映像を求め、小川さんはそれに応えるべく超望遠レンズや防振装置など技術的な問題に取り組み実用化しました。 記録映画のトップシーンは市川監督が平等と平和のシンボルとしてこだわった太陽のアップから始まります。ゆらゆらと燃える太陽の撮影は技術的に難しく、小川さんが銀座のビルから苦労して撮影したものです。女子バレーボールの決勝戦では長時間、カメラが暑くなるまで撮り続け、大松監督率いる東洋の魔女チームが宿敵ソ連チームを破り、金メダルを獲得した劇的なシーンを撮影しました。男子マラソンではアベベや円谷幸吉選手が競技場にゴールインするシーンを撮影しました。展示期間中、JCOM「デイリー ニュース」のインタビューに応じた小川さんは「円谷選手は3位になりましたが、あのオリンピックで(陸上競技場に)たった一つ、円谷の日本の旗が揚がったのが私の一番の思い出に残っているところです」と述べています。エンドロールでは小川さんが撮影した80mハードルで依田郁子選手などがゴール目指して走るシーンをバックに、小川さん他の映画スタッフの名前が紹介されています。 小川さんは東京オリンピック撮影終了後、休む間もなくドキュメンタリー映画撮影のために、ベトナムへ戦場カメラマンとして派遣されました。当時のベトナムはベトコンの反攻が激化した頃で、撮影現場は危険で困難を極めました。オリンピック翌年の昭和40年、大映配給の「動乱のベトナム」が封切られ、戦闘や凄惨なシーンがあったにもかかわらず多数の観客を動員し大きな話題となりました。さらに小川さんは「中華人民共和国使節団」に唯一のカメラマンとして随行し中国政府の要人と握手したり、長期間漁船に乗船し長編記録映画「南太平洋でのマグロ漁業」を撮影したり、昭和45年大阪万博と昭和60年つくば科学万博で映像作品上映システムのエンジニアとして活躍するなど数々の業績を残しています。 小川さんは学生時代に趣味でバイオリンを演奏していましたが、還暦前、ご自分でバイオリンを製作するようになり映像以外の分野でも多才ぶりを発揮されました。91才になられた現在でもお酒をこよなく愛し、毎月のように撮影旅行に出かけ元気で活動されています。 小川信一展の期間中、来年行われる東京オリンピックまで500日を切りました。展示会に来られた皆さんは展示資料を見ながら55年前の東京オリンピックの思い出話に花を咲かせ(写真左列奥が小川さん)、来年のオリンピックへの期待を一層盛り上げました。 また、地元の方々から展示会の参考にして下さいと、前回オリンピックの写真集、分厚い記録やいろいろな資料をお持ち頂きました。大和町在住の方から、ご主人がオリンピック組織委員会で仕事をされた時の私的なアルバムや出向辞令を提供して頂きました。そのアルバムを開くと大会組織委員会が設置されていた赤坂離宮の少し草の生えた主庭や正面ゲートで撮影した職員の集合写真があります。赤坂離宮は現在迎賓館として整備され外国の賓客をお迎えしており、時代の移り変わりを知る貴重な資料です。(写真1) また、他の方からは当時中学生だったご主人が山梨県で聖火リレーに参加した時に着た五輪マークと日の丸が胸に付けられたランニングシャツ(写真2)を提供して頂きました。このシャツは綺麗に保存されていてシャツの白さと日の丸の赤が今でも鮮やかです。聖火の手元部分も提供して頂きましたが、案外重いものでこれを掲げて一人3~4km走った聖火リレーは見た目ほど楽ではないと感じました。守る会員が聖火トーチを手作りしました。(写真3) |
来場者と小川さん <写真1>昭和39年オリンピック東京大会の組織委員会関連写真 <写真2>聖火リレーのランニングシャツ <写真3>聖火トーチ 守る会は今後も、大和町ゆかりの有名人を始め、様々な分野で活躍されている方々を分かりやすくご紹介したいと考えていますので、情報や資料の提供など引き続きご協力をお願いします。 |
3月4日(月)から大和ギャラリーで開催される「大和町の報道カメラマン・小川信一展」の一貫として、3月2日(土)に東京オリンピックの映写会を行いました。この映画は市川崑監督が40年後に再編集した、ディレクターズカット版です。カメラマンとしてこの映画を撮影した小川信一さんの撮影秘話で始まり、陸上100mのヘイズ選手や重量挙げの三宅選手、マラソンのアベベ選手と円谷選手、そしてバレーの東洋の魔女の活躍など、観客の皆さんは懐かしさにため息をつき、勝利者に歓声をあげていました。2時間半の映写会でしたが、あっという間に過ぎた貴重な時間を持つことができました。 聖火台に点火する陸上の坂井選手 |
撮影の裏話を騙る小川信一さん 東洋の魔女に日本中が沸き立った 裸足の王様マラソンのアベベ選手 |
「松木満史展」は今年3月5日から17日に大和ギャラリーで開催した「大和町が育んだ二人の絆 松木満史展」のダイジェスト版で、松木満史の最後の大作である「ラリューヌ」を始めとする作品、板画家の棟方志功との交流や経歴などを展示しました。また、今回松木満史が大和町4丁目に建てたアトリエの青図面を新たに展示しました。 3月の展示会終了後、松木満史が遺した多くの作品を整理していたところ、青森県の三風景(浅虫温泉の海、三厩(みんまや)の海、竜飛岬の灯台)のスケッチがあり、ひっくり返したところこの青図面を発見したものです。棟方志功が未だ無名の時期に、松木満史と共に制作活動した眺鏡堂と呼ばれたアトリエがどのような建物だったか長く謎でしたが、この青図面からようやくその外観が分かってきました。松木満史は青図面の紙の質が良いので、裏面にこのようなスケッチを描いたものらしく、この偶然の発見には驚きと感動がありました。 3月の展示会開催を通じて「青森県立郷土館」やつがる郷土誌「いしがみ」編集者ほか、さまざまな関係者と知己を得ることができました。今後とも、皆さんとの絆を大事にして、松木満史に関する調査・研究を地道に続けていきたいと思っています。 松木氏の三女ルミさんと一緒に 「大和町の有名人コーナー」では、初めての試みとして大和町ゆかりの文化人・芸能人・スポーツ選手など、大和町の有名人を紹介してみました。ご来場の方々から、「こんなに多くの有名人が大和町に住んでいたんだ」との驚きの声をたくさん聞くことができました。用意した有名人リストが不足するほどお持ち帰りになり、関心の高さを実感しました。この有名人リストは、守る会委員の小学校や中学校時代の友人や町の方々からお寄せいただいたお話しをヒントにして、多岐にわたる資料を丹念に調べ纏めたもので、小さな努力を少しずつ重ねた成果だと考えています。 守る会では大和町の有名人リストをさらに充実させたいと思っていますので、新たな情報・資料等がございましたらご連絡をお願いします。 また、日ごろ守る会の活動を応援して頂いている小原康延氏が「思い出の中の大和町の町並み」を出展されました。これは昭和20年前後の大和町の地図に地名・道路・橋・学校・工場や身近な商店などを手書きで描いたものです。小原さんは正確な記憶をもとに、建物の精緻な外観や小さなボンネット型乗り合いバスなどを、緑が多い町並みの中に鮮やかな色彩で描いておられ、とても懐かしい感じがしました。ご来場の方、も当時の様子がよく描かれていると評判で、思い出話に花が咲きました。小原さんは、昔の大和町の風景を描くことをライフワークにされておられ、すでに次回の作品のコンセプトを考え始めているそうです。 大和町文化財を守る会は、これからも大和町ゆかりの有名人が、私たちの町にきざんだ足跡をひとつひとつ辿りながら、皆さんに分かりやすくご紹介していきたいと張り切っていますので、ご期待ください。 |
代表作「ラリューヌ」を含む作品展示 アトリエ眺鏡堂の青写真 小原康延氏(写真中央) 小原氏作「思い出の中の大和町の街並み」 「大和町の有名人」紹介コーナー |
大和町文化財を守る会は、昨年の「棟方志功展」に引き続き、大和町にゆかりの洋画家「松木満史展」を平成30年3月5日から17日までの13日間、大和ギャラリーで開催し、期間中は守る会のメンバーが説明に立ちました。 展示会には大和町や近隣の町からは勿論、出身地である青森県立郷土館、郷土文化誌いしがみ、その昔絵画の教師をした事のある玉川学園、棟方志功研究の日本民藝館など学芸員の方々も含めて、のべ190名の方々が来場されました。 また、展示会の様子は、中野JCOMでテレビ放映され、青森県の東奥日報にも記事が掲載されました。 ●来場者のご感想から 来場された方々から暖かなメーッセージを沢山頂戴し、ありがとうございました。守る会の今後の励みと参考にさせて頂きます。その一部をご紹介いたします。 ・(松木満史は)棟方志功と親交があったんだ ・松木を知ることができて嬉しい。 ・大和町、いいところだなぁ。引っ越してきて1年。 ・今までこのような絵をみたことがなく感動です。 ・すばらしい企画、ありがとう。 ・詳細な履歴と絵の展示、すごい。 ・絵を見て気持ちが明るくなってほっとしました。ありがと うございました。 ・青森市生まれです。長距離バスで度々帰ります。今日は幸 せでした。 ・松木のお嬢さんと同じ大和小学校。 ・私は青森県出身、祖父が松木の絵を持っています。これも ご縁ですね。 ・練馬区から歩いてきました。図書館でポスターを見て。 ・あちこちの掲示板にポスターがありました。 ・説明が分かり易く、展示も素晴らしい。 |
松木満史 代表作<ラリューヌ> 神馬(左)と少女 |
●初披露! 大和町三丁目の栗原孝男さんが所有しておられる、松木満史が昭和5年秋に制作した、木彫りの“恵比須様”と“大黒様”2体が展示期間中に初披露されました。松木満史の大和町での足跡を改めて実感しました。 |
恵比須様 |
大黒様 |
●アトリエ設計図発見! 展示期間中、松木満史の三女ルミさんから、朗報がありました。それは今から90年前に、大和町に建築されたアトリエの設計図を発見したというのです。棟方志功が「眺鏡堂」と名付けて、ここから描いた版画の絵はあったのですが、建物自体は記憶と推測の域を出ませんでした。現在、近藤会長が図面を基に研究中です。 |
●松木満史の紹介 明治39年青森県旧・木造町に生まれる。大正12年、17歳で棟方志功主宰の青光画社に参加。展覧会に出品する。このころ絵画や彫刻に励む。昭和2年大屋リョウと結婚。中野区上沼袋(現大和町)に住む。翌年現在の大和町四丁目にアトリエを新築。棟方志功が同居した時期もあり。その後、青森に転居のため大和町を一時離れる。昭和20年大和町に再び戻る。(中野区立中央図書館“中野区ゆかりの著作者紹介”より引用)
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●夢通りギャラリーで展示 「大和町が育んだ二人の絆 松木満史展」の要約版「大和町の松木満史」を、中野ガード下“夢通りギャラリー”で展示(5/7~5/31)しました。縦約1.1m・横3mのケースの中に、満史の略歴6枚、発見されたアトリエの図面と裏面の満史画の青森風土図2枚、満史の「ラリューヌ」「神馬」「少女」の複製絵画3枚、大和町文化財を守る会紹介1枚、のパネルを配置しました。期間中、ご通行の方々、松木ルミさんとご友人、中野区健康福祉部 文化・スポーツ分野 文化財担当の方、区立歴史民族資料館の方、中野たてもの応援団の方などがご覧になりました。 |
夢通りギャラリーの展示風景 |
●「松木満史の冊子制作/ゆかりの中野区の有志」(東奥日報) 12月21日、東奥日報社東京支社白取編集部長が大和区民活動センターに来られ、大和町文化財を守る会が製作した冊子について近藤会長、斎藤松木展チーフ、事務局江夏がインタビューを受けました。守る会はこの町の歴史や文化を知る機会として昨年春に松木満史展を企画し、今年3月に大和ギャラリーで展示会を開催しましたが、この冊子「大和町の洋画家/松木満史」はその記録を含めてまとめたものです。白取氏は展示会終了後も、メンバーから斎藤チーフを中心に青森県の松木満史研究の関係者との交流を深めていること聞き、「会のメンバーは“これからも研究を続け、青森県出身の松木満史という画家が(大和町に)いたことを多くの人に広めたい”と語った」と結んでいます。
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棟方志功は、昭和4年~18年の間、大和町に在住しました。この間、数々の大作を生み出し、板画絵巻「大和し美し」は昭和11年の刻画会に発表されたもので、昭和9年に沼袋南から大和町に町名変更されたことが、創作するきっかけの一つと言われています。大和ギャラリーでは「大和し美し」の作品のほか、大和町での生活や家族構成まで紹介しました。 「大和町の棟方志功展」に来られた富山県福光町の 学芸員の方と共に |
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大和小学校にあった「大和の碑」の石材は、鹿鳴館の跡地に本社があった大和生命保険が、大和小25周年を迎える際に鹿鳴館正門の礎石25個を寄贈したものです。平成29年4月、大和小と若宮小の統合、美鳩小学校開校により「大和の碑」は撤去するとの発表がありました。そこで大和町歴史編纂委員が中心となり「大和町文化財を守る会」を立ち上げ、関係各所との折衝を重ねた結果、礎石を下記の形で保存することが決まりました。 ■大和小記念碑「大和校われらが母校」を、美鳩小新校舎建設敷地内に建立 ■大和町文化財を守る会会員3人のお宅に、庭石として6個保存 <教えてください!> 大和生命が、大和小に鹿鳴館正門礎石を寄贈した経緯をご存知の方、ご一報をお願いします。 大和小学校にあった大和の碑 |
美鳩小学校に設置予定の「大和校われらが母校」碑 会員宅で保存されている礎石 |
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大和区民活動センターのキャラクター、大(ダイちゃん)と和(ナゴミちゃん)です。二人合わせて“大和”です。どうぞよろしく!
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<ナゴミちゃん>
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